佐野靖夫先生

仏教概論(第27期スクーリング講義録)

2014年11月10日

一、はじめに―仏教のオリジナリティ


(一) 仏教の多様性


 仏教の概論ということでお話をしますが、「仏教」とはどのようなことか。他の宗教と違うとか、あるいは今皆さんが一般に聞いていることや、僧侶方が言っていることでも、本当にそうかな?とか、もっと違うんじゃないかな?ということが、本当にたくさんあると思うのですが、そういう違いというものは一体どこから出てきたのか、ということをまず考えてみたいと思います。日本仏教といってもさまざまな宗派があります。私は日蓮宗系ですが、例えば同じ日蓮宗の葬送儀礼でも、東京近辺のものと関西あるいは東北、九州だとか、地域が違うとかなり違います。それは宗派の違いというよりも、おそらく江戸時代に培われたものかもしれませんが、日本の歴史的な地域性だろうと思います。そういう違いや、あるいは仏教と言いながら、いろんな宗派のいろんな習俗が混ざって現代のものができている。これは現代でなくて、もっと以前から、実は仏教という宗教というか、思想体系、あるいはそれが仏教の非常に他と違うということ、そして仏教の多様性の淵源についてご紹介させていただきます。

①教の伝播

 仏教の伝播について、ネパールに近いインドの辺りにブッダ誕生地があり、今から二五〇〇年ほど前におそらくここら辺で、お釈迦さまが活動されたといわれている場所があります。この近辺に霊鷲山だとかラージャグリハ(王舎城)というところがあるわけですけれども、最初にここで仏教が発生し、そこから仏教はどのように伝播していったのか。大きく分けて二つの方向に流れているルートが見られると思います。一方は北西のガンダーラ方向に、もう一方はインドの中心部に下りてくる。そして紀元前三世紀ぐらいにスリランカの方に移っていく。大体この流れを仏教学の方では原始仏教とか最初期の仏教、あるいは部派仏教という名前で呼ばれている仏教の一群です。

 それに対してもう一つの流れは、大乗系統というように一括されておりますが、各地へさまざまな形で流れています。ここで非常に面白い流れとして、仏教の誕生地に向かっての流れが二本あります。これが大乗仏教と呼ばれているものの非常に大きな特徴になるわけですが、一つは北西のガンダーラから、お釈迦さまのいた仏教誕生地のもとに流れている。逆に中央のインドの真ん中辺りから、これもお釈迦さまのいた地の方に伸びている流れというのがあります。さらにはこのガンダーラを中心にした流れは、今度は東の方に伸びて、中国だとか朝鮮半島を経て、日本に入って行くということが確認できると思います。そしてもう一方が、東南アジアのジャワのボロブドゥールにまで伸びております。ボロブドゥールはインドネシアの世界遺産にもなっている非常に有名な仏教遺跡ですけれども、これは実は大乗仏教の遺跡になります。ボロブドゥールができたのがおよそ八世紀ぐらいですから、日本では南都の奈良仏教から平安仏教、それこそ桓武天皇が登場するあたりですが、ちょうどボロブドゥールというのがインドネシアで建設された頃となります。そしてもう一つ興味深いのは、スリランカにあった上座部系統の仏教が十三世紀から十四世紀頃に、タイとかミャンマーの方に伸びている。実はこの部派仏教というのは非常に古く、仏教の一番もとの形態だといわれていますが、それがタイとかミャンマーの方に伝播したというのは、十三から十四世紀頃の、非常に遅い時期に国が招へいするという形で移ったと仏教史において一般にいわれていることです。

 もう一つは大乗仏教で、実際には最も新しい後期仏教とされるもので、ブッダ誕生の地から北のチベットの方に向かっており、これがインドにおける仏教の最後の形態と言われています。時期は、日本の桓武天皇の時代、あるいはボロブドゥールが建設されたのとほとんど同時期です。インドからチベットへはヒマラヤ山脈があり、インドからミャンマーあるいはその逆に抜ける東南アジアでは、ジャングルなど非常に厳しい地理的な背景があるわけです。実はインドと中国、あるいは東南アジアというのは、地図では地続きで隣同士なのですが、現実には近くて遠い国々である、といわれております。そのような状況下で、仏教はいろいろな形で伝播していったということです。

②紀元前二千年頃の都市地域の拡大

 諸説ありますが、お釈迦さまはだいたい紀元前五百年前後頃の人といわれていますから、お釈迦さまが生まれるよりも千五百年ぐらい前の紀元前二千年頃の話です。まずお釈迦さまのところ、ここら辺の地域にどのような人たちがいたのか。実は現在のカスピ海の北の方になりますが、インド・ヨーロッパ系諸族の人たちが、いろいろな形で移っていったというのが、今の世界史の基本的な考えです。ヨーロッパの方にはケルト人とかゲルマン人という人たちがいて、このインド・ヨーロッパ系諸族の人たちが移動していく。あるいはギリシャ人、ラテン人が地中海地方に南下する。あとヒッタイトといわれる人が、現在のトルコ辺りにも移っております。またカスピ海とペルシャ湾の間に、一方がメディア人、ペルシア人がいて、現在のペルシャのもととなるイランの方にも、このインド・ヨーロッパ系諸族の人たちが移っている。あとインド・アーリアの人たちが、もともとインダス文明を築いた人たちと違う宗教、考え方をもった人たちがちょうどインド大陸へと移って行った。つまり現在いわれるインドの人も、あるいはペルシャ人すなわちイランの人たちも、ギリシャ、ローマ、あるいはゲルマンとかケルトなど、ヨーロッパの人たちというのも語族的には、つまり言語学的にいうと非常に近しいものをもっている人たちです。これは同じように近い場所に住んでいる、例えばエジプトの人たちですとか、アラブ人とは本来全然違った形の宗教体系あるいは社会構造をもっているというのが、社会学とか宗教学の分野でいろいろ報告されているものであります。

③前五世紀の世界

 次に前五世紀の世界をみると、だいたいお釈迦さまがお生まれになったのは紀元前五百年頃、インドの北の方というか中央部よりやや上の方にお釈迦さまがいらっしゃった。実はその近くで、アケメネス朝ペルシアという巨大な帝国ができております。これはゾロアスター教を国教として定めている強力な帝国ですが、この帝国はギリシャ人たちとずっと戦争をやってきました。ギリシャもこの時期はいろいろな形で歴史に登場します。お釈迦さまの登場した時代と、ギリシャの自然哲学者達が活躍した時代、あるいは中国の孔子だとか孟子だとか、諸子百家といわれてる人たちの登場した時代というのはほとんど同時期です。この時代というのは世界史的にいろいろなところでいろいろな人たちがいろいろな考えをめぐらした時代とされております。

④前四世紀後半の世界

 そして紀元前四世紀。ここではアレクサンダー大王がギリシャのマケドニアに登場します。アレクサンダーは三十三歳で亡くなっていますが、二十歳のときに親から王位を受け継いで、たった十年間でアケメネス朝ペルシア、あるいはエジプトを含むとても巨大な帝国をつくり上げた英雄として知られています。アレクサンダーの巨大な版図において、彼自身は短命で亡くなったのですが、この地域にはギリシャ人がギリシャの政治・社会システムを全て持ち込んで、ギリシャのポリスという形態のさまざまな文化をはじめ、習俗、思想、価値観などにヘレニズムと呼ばれる大きな影響を残しました。アレクサンダーの伝記の中に、実はアショーカ王の祖父にあたるチャンドラグプタ一世が、若いときにアレクサンダーに会ったという話があるくらい同じ時期にあたります。チャンドラグプタ一世は、アレクサンダーの後を継いだセレウコスというギリシャの将軍と何度も戦って、マウリヤ朝の版図とギリシャのセレウコス朝の版図が何度も行ったり来たりします。実際ちょうどチグリス川を挟んでの地域は、ギリシャ領になったり、あるいはマウリヤ王朝のインド領になったりということを繰り返しています。

⑤一から二世紀頃の世界

 そして紀元一世紀から二世紀頃にはクシャーナ朝が登場します。このクシャーナ朝というのは、仏教に非常に大きな影響を与えたことで有名です。つまり仏教は、最初にお釈迦さまの教えがあって、
171-8.jpgクシャナガラ
何度かの結集もあり、つぎつぎ弟子達が伝えていった。ところがこのクシャーナ朝の時代、大乗経典という新たな経典群が編纂されます。日本では経典というと大乗経典の方が有名です。般若経であるとか維摩経、あるいは法華経、華厳経などいろいろな経典がある。宝積経もそうですが、そのような経典が実はこのクシャーナ朝という時代と場所でつくられている。しかもお釈迦さまの最初の仏教というのはガンジス川流域で展開しましたけれども、クシャーナ朝の首都のあるプルシャプラ、その周辺のガンダーラとよばれる地域があります。そこで仏教にさまざまな大きな変化が起こった。これが大乗仏教運動であったわけです。

 現在、ここはパキスタンからアフガニスタンになっておりますが、実は日本の仏教の《ふるさと》といわれてもいい地域で、法華経とか般若経とか日本人に最もなじみのある思想や経典がつくられた場所がクシャーナ朝のガンダーラ地方であった。普通仏教史では、これらの教えはインドでつくられたと言っていますが、インドと言ってもこの時代の西北インドというのは、現代の私たちが思うインドのニュアンスとはかなり違います。つまり古くはアケメネス朝ペルシアがあった地域ですが、このガンダーラの地域というのはゾロアスター教が誕生した場所ともいわれています。そして次にはアレクサンダー大王が征服して、さまざまな場所でギリシャ文化が伝えられている。これは仏教とギリシャ人の対話で有名な『メナンドロス王との対話』みたいな、まさにそういう話がここでつくられる。同じようにインド側からもマウリヤ王朝が重なってくる。そしてこのクシャーナ朝という月氏と呼ばれる中央アジアから西南下して来た王朝が、この地に強大な王家をつくる。このガンダーラ地方は、さまざまな東西の文化と歴史が重層的に形成されていった非常に特異な地域なのです。

⑥仏像の起源

 ここで起きた大乗仏教運動に特徴的なことは、それまでインドの仏教ではお釈迦さまの像というものを造ることがなかった。仏像というと日本の仏教では非常に中心的なものですが、初期のインドの仏教は日本の神道の習俗に近くて、日本の神道では神様の像といっても、あまり有名なものはない。像にするよりは鏡で表したりお榊で表したり、あるいは石だとか木にしめ縄を張るなどします。これは日本の大きな特徴ですが、現代の日本でも神道の神様の神像というのはあまり造らない。ところが仏教はどこのお寺に行ってもご本尊さま、お釈迦さま、阿弥陀さまとか、その他、観音さまだとかいろいろな仏さまたちがいらっしゃいます。実はこのクシャーナ朝の時代に、ガンダーラ仏の最初期の仏像、例えばお釈迦さまの苦行像がはじめて造られた。これはギリシャの人たちが造ったとされています。お釈迦さまのお顔が非常にギリシャ彫刻に近いし、このように苦行している姿の写実的な仏像は、日本ではほとんど表現されることはなかった。そのような仏像が、ギリシャ文化が入ってくることによって造られたのです。

 仏教は非常に多様性をもっています。多様性の一つの特徴というのは、いわゆる世界宗教ですから、中国や朝鮮半島に伝わった、あるいは日本に伝来したから多様になったということだけではなくて、まさに成立しているインド、特に西北インドはその地域そのものが歴史文化に多様性を内包している。あるいはインドの人たちの使っている言語、宗教形態というのはどちらかというと西の方の、インド・ヨーロッパ語族ですから、ギリシャ、ラテンの文字や言語と系列がほとんど一緒ですし、アルファベットと同じ表音文字ですから中国の漢字とかの体系とはまるで違った文字体系をもちます。そういうものをきっちりと継承している。しかも、このクシャーナ朝の時期というのは、世界が一つにつながったという非常に特殊な時期でもあります。どういうことかといいますと、文化交流に対して一番厳しいものというのは、これは現代でも同じですが、地理的条件よりも国境線が越えられるか越えられないかということが、とても大きな影響をもちます。例えば、玄奘三蔵法師やマルコポーロが旅行できた背景には、国境線が限りなく少ない時代であったということがあげられます。確かに大海原や険しい山や砂漠を越えることは大変なことです。しかし人為的国境線が一旦できてしまうとそこは一切通れなくなる。それは世界史における事実です。紀元前後の時代というのは、中国では漢という強力な国家ができます。そしてそれまであった周辺諸国を全部平定していく。同じように中央アジア辺りにもいろいろな人たちがいましたが、クシャーナ朝という大きな国家ができる。その隣ではパルティア、後の時代にはなかなか行きづらくなるのですが、そしてヨーロッパではローマ帝国という巨大な帝国ができる。それらの帝国が同時期にできたために、世界がつながり始めました。このパルティアというところはクシャーナ朝ともローマ帝国とも仲が悪かったものですから、簡単に国境を通してはくれなかった。そのかわりアラビア半島経由の海上ルートというのが非常に整備されていまして、モンスーンが、例えば四月から十月は南から北に対して吹きます。同じように十一月から三月、冬になるとモンスーンは北から南に吹くという、特殊な条件が重なって行き帰りの交易ができたのです。インド洋のアラビア半島経由のルートというのは、ちょうど季節風が一年の半分ずつとなっており、夏はこちらから行けるし、冬になったら帰って来ることができる。これは帆船にとっては非常に都合のいい形で、それがちょうどこのころ世界のあらゆるところが一つにつながるという、そういう特殊な時期にあたりました。

 同じように、世界中が一つになったという特殊な例が、後の蒙古帝国です。モンゴルという巨大な権力がアジア全域にかけて、ちょうど現在の中国からまさにヨーロッパまでを一気に一つの商業圏に築いたという歴史的な背景があります。実はそういう背景があってこそ仏教というのがいろいろな国に伝わり、そしていろいろなものが、その人たちに都合がいいように変化していった。先に言ったように、仏教の非常に大きな特徴である多様性というのは、まさに歴史的背景から出てきたものです。

(二) テクニカルタームの同一性と収斂性


 次に、テクニカルタームの同一性と収斂性と表現しましたが、実は仏教は多様であるけれども、他の思想、例えば現代思想だとかヨーロッパの哲学などでは考えられないのですが、時代・地域を超えて全て同じテクニカルターム、例えば仏、涅槃、菩薩、さとり、空、無上菩提、禅定、修行などなど、異なる概念体系であっても同一タームに収斂してしまいます。つまり最初期の仏教も同じ術語を使う
171-4.jpg
し、最も発展した哲学体系の仏教も実は同じ術語を使っている。これが仏教を取り扱うときの注意しなければならない非常に大きな点になります。例えば最初期のインドの仏教で、菩薩というとお釈迦さまの前世の話です。悟りを開く前までのお釈迦さましか指しません。ところが大乗仏教が出現すると、菩薩というのはたくさん出てきます。観世音菩薩もいれば地蔵菩薩もいる。弥勒菩薩は古くからいらしたのですが、いろいろ虚空蔵菩薩だとか文殊菩薩などたくさん出てきます。ですが最初期の仏教、あるいは部派仏教といわれる中での菩薩といったら、これはお釈迦さましかいない。そういうようなことが決まりであるのですけれども、話が一緒くたになってしまう。同じように空だとか涅槃だとか、悟り、無上菩提だとか禅定、修行などみんな同じ術語です。そうするとそこで使われている術語を適当に自分の都合のいいようにもってきてしまうと、それで仏教を理解したことになるのかどうか、ということを考えていただきたいのです。

(三) 神・人・仏の関係


 それから三番目に、神・人・仏の関係というのがあります。これも仏教の大きな特徴ですが、日本の神道、あるいはキリスト教などはそのいい例ですが、人間と神は何があっても一緒にはならない。キリスト教では、神様がアダムとイブを神に似せてつくったという話があります。そうすると自分が神様になろうという、異端な考えが生じるかもしれません。例えば楽園追放やバベルの塔の話がありますけれども、物語の中ですが、人間が神になろうとすると神様というのは非常に怒り罰を下したという。そういうように絶対に人は神にはなれないのです。日本の神様もそうですが、どんなことをしても私たちは天照大神にはなれない。すなわち日本の神道やキリスト教では、神と人とには絶対的乖離があるのです。

 ところがインドの場合はそうではない。ヒンドゥー教において神様になれるかなれないかというと、うまく業と輪廻を繰り返していけば、なれないこともきっとないのではないかなとは思いますが、原則的にはインドラとかにはならないし、もっとインドの後の神様のシヴァとかビシュヌという神様には一切なれない。ところが神様もあるいは私たち人間も単に迷っている凡夫なんだというのが仏教の前提です。そして仏教は神様であろうと、神様というのは人間よりも非常に特殊な力を使えるけれども、迷いの世界にいる衆生としては変わらずいるわけです。それら迷える凡夫であっても仏の悟り、いわゆる無分別智を獲得しさえすれば人間であろうと動物であろうと、あるいは虫けらであっても仏になれると説かれます。すなわち仏教では、神も人もすべて凡夫であるが、さとりを得られれば誰でも仏になり得る。これは仏教独特な特徴で、他の宗教にはまず見られないものです。

(四) ブッダの体験内容に導くことばとしての仏教聖典


 そして四番目ですが、ブッダの体験内容に導くことばとしての仏教聖典。これも重要なことです。仏教経典に書かれていることというのは、実は絶対にこうしなきゃならないということは書いてありません。これが非常に面白いというか仏教の独特なところです。もともとお釈迦さま自身の物語の中に、お釈迦さまの悟りというのは、今いる人たちには難しすぎて絶対に理解には無理がある。なぜならば、それはお釈迦さま個人の経験に即していることであり、一般論で他の人に適合できるものではない。もともとそういうことではないという前提で、経典には語られています。菩提樹の下で悟りを開いた直後、最初お釈迦さまはみんなに教えを説くのをやめて、自分の瞑想の中だけで悟りの境地の中にいようとしたところ、有名な梵天勧請という話があって、インドの最高神の一人であるブラフマーが来て、お釈迦さまに「多くの人を救うために、その教えを広げてください」と願います。はじめは嫌だとか無理だと思ってたのですが、意を決してそこから教えを広めたというストーリーです。このパターンというのは、実は大乗仏教経典の中にもう一つあります。これは法華経という日本文化にも大きな足跡を残した経典ですが、そこでも最初のところで同じようにお釈迦さまは、実は法華経に説かれてる真理、大乗仏教の真理というのは一般の人には分からない、仏と仏にしか理解できないのだ。今ここにいる人たちは一般の凡夫だから、仏でないのでどうしても理解できないものたちである。だから私は語ることはしないと言っていたのですが、弥勒菩薩をはじめ周りの人たちが、「いや、そんなこと言わないで話してくださいよ」と頼んだという話があり、先ほどの梵天勧請と非常に似たストーリーです。そして書かれていること、つまり言葉というのは、本当の意味では真理ではなくて、止とか観とか、そういう禅定体験の話になります。まさに自分の中から体験したものと一緒でないと、真理はなかなか理解できない。これは他の宗教、例えばキリスト教の物語などを読まれるとわかりますけれども、基本的にこれをしてはいけないとか、こうしなさいという形になっています。もちろん仏教でもそういうものはあって、こうしなさいとかああしなさいとあるのですが、それはほとんど統一されていません。つまりある人に対しては、あなたは大勢の人の中で勉強して、その中で自分自身の悟りを見つけなさい、ということを言います。またある人に対しては、人と交じり合わないで山の中で一人で修行しなさい、そうすればちゃんと悟りが得られるだろう、というような話です。つまり仏教の経典の中でも、多くの矛盾が出てきます。なぜかというと、お釈迦さまは対機説法をされたからです。一人ひとりに対して話をされるから、そういう矛盾も出てくるわけです。

 実はそれだけではなくて、お釈迦さまの悟りというのは、お釈迦さま自身の体験の中から出てくるものなのです。これは何かというと、仏になるのは誰かがしてくれるのではなくて、私たちが仏になるのだというこの前提です。この前提があるからこそ、自分自身も仏になれるし、彼も仏になれるのだという話が出てきます。つまりお釈迦さまの説かれている経典が合っている、間違っているということは、本来の思想の書物のつくり方としては、そういうことはないという前提でつくられるということであります。したがって、「釈尊が得た涅槃は、どこまでも釈尊の個人的かつ内的な心理体験であり、それを言葉を介して他者に伝えることは不可能である」ということが出発点です。

 仏教はこれまで、お釈迦さまの同時代の人たちが、弟子から弟子へと伝えていった阿含経典群、これは後に上座部仏教としてパーリ聖典とされて、現在のタイとかミャンマーの方に伝わっている小乗仏教といわれているグループなのですが、歴史上実在したとされるお釈迦さまから、聞いて聞いて聞いて、そして伝えてきたからこれは絶対正しいのだという形式のものです。ところが大乗経典、般若経にしても法華経、維摩経、その他の経典は、文献学的に見てどんなことをしても歴史上のお釈迦さまにはたどり着きません。これは現代の仏教学の大きな成果の一つですが、細かく見てみるとパーリ聖典だって歴史上のお釈迦さまにたどり着くかというと、よく分からない。つまり仏の教えとは何かということです。それは実は周りの人たちが、これが仏の教えだよと認めて、認識されたものが仏典になるという、非常に特殊で独特な解釈が仏教というものには、現実として働いております。そして先ほどの法華経であるとか般若経であるとか、そういうものは仏典として、あるいは衆生を真理へと導く真実の教えは、すべて「仏説」とみなされ、経典へと編み上げることが許されているわけです。それが仏教の大きな特徴の一つになります。

(五) 「純粋思想」、「宗教儀礼」、「宗教感情」の混在・未分化


 次に、これも非常に特徴的なことですが、「純粋思想」、「宗教儀礼」、「宗教感情」の混在・未分化。これがまたたくさんあります。実は大乗仏教運動の中において、菩薩という名の新たな救済神を創造したのではないかという考え方があります。例えば観世音菩薩、法華経にも出てきますけれども、これは音を聞いただけで誰でも助けてくれる。どんなに困ったときでも南無観世音菩薩といったら、救いの手を伸ばして、あらゆるものを救ってくださる仏として登場するわけです。これは確かに仏教教理の中では菩薩ですから、先ほど言った神様とは全く違ったものとしてあります。ところが一般に信じている人たちにとってはどうか、という仏教を見ていく別の考え方があります。一般の人たちから見たら、助けてくれるなら観音様であろうが、あるいは神様であろうがどちらでもいいわけです。最初期の仏教というのは逆に、助けてはくれない。勉強しなきゃ駄目だといわれたら、字の読めない人はどうするのか。あるいは滝に打たれて修行しなきゃいけない、それでは滝に打たれることができない体の弱い人たちは悟りを開くことができないのか。そうではなくて、どんな人でもどんなに迷ってても誰かにおすがりすれば、これは阿弥陀さまの話にもなってきますが、そういう菩薩であるとか、あるいはさまざまな神格化されたものなどが、大乗仏教運動のとき大量に登場します。そのとき、それを支持した人たちというのは、非常に優秀な頭のいい人たちがそれを支持したのか、あるいは自分の名前すら書けない、本当に素朴でただ一生懸命生きていく方々がそれを支持したのか。実際仏教というのは、そういうさまざまな側面、さらにそれらが一緒くたになって宗教として成立する。つまり思想としても非常に高度な思想はもっているけれども、最も泥臭い宗教的なものも同時にあわせもっているというのが仏教の大きな特徴です。これはヨーロッパの現代思想とはかなり違います。このような面において、仏教のもつ特殊性というのが出てくるのかなと思います。それを前提として、最初期の仏教から、仏教を通仏教的にみると同様な、あるいはここだけはあまり変わってないということが一体何かということです。その点について、次の「現代思想としての仏教」の中でいくつかの例を上げてお話させていただきます。


二、現代思想としての仏教


(一) 初転法輪


 初転法輪というのは、一番最初にお釈迦さまが説かれた教えという言葉ですが、そこでは四諦八正道を説かれたとされます。お釈迦さまのスタートは何かというと、この世の一切は苦しみである。この苦しみの「苦」という言葉ですが、「苦」の原語はドゥッカ(duhkha)です。例えば「四苦八苦」と呼ばれている「生・老・病・死」があって、「愛別離苦」、「怨憎会苦」、「求不得苦」、「五取蘊苦」があります。実はこのduhkhaはもともと形容詞で、「不愉快な」とか「艱難に満ちている」とか「憐れな」を意味する言葉です。現代語でいえば「思うとおりにならない」という言葉が一番しっくりくると思います。

 もう一つが、「五蘊」(pañca-skandha)。「色、受、想、行、識」。実はこれが《生きもの》を示します。私たち衆生はこの五蘊で構成されているという言い方をします。なんで五蘊で構成されているのか?

 三法印の中に出てくる、あるいは大乗仏教でも出てきますけれど、「無我」という考え方があります。つまりアートマン、我というものがないという。我があるかないかという論争は、ずっと仏教の教理史上で続くわけです。「我」というのは、現代語では「霊魂」というように置き換えると一番近いのではないかと思います。非常に特殊ですが、日本仏教は霊魂を認めます。ところがインド仏教では、基本的に霊魂の存在は一切認めません。逆に認めると、それは仏教じゃないだろう、外道だろうと言われます。つまり輪廻の主体が何かという問題で、ウパニシャッドの時代から続くインド古典バラモン哲学では、その主体はアートマン(我)とされます。輪廻で相続されていくのは霊魂である。死んだ後には霊魂が業を継承していくというように、とてもシンプルな考え方です。ところが仏教は、それは違うという。私たち人間というのも霊魂(アートマン)があるのではなくて、実は五蘊というような五つの構成要素、物質的な色というもの、それから受、想、行、識という心のもの、それが揃って五蘊というのをつくっている。しかもその五蘊というのは因縁によって和合するだけだから、それがくっついたり離れたりというのは、過去のその人の行為によって決まるだけだといわれます。だから我というアートマンというものはない(無我)ということが議論されます。

 もともとインド仏教は衆生とか有情とか、生きているものに五蘊がある。つまり動くもの、動物だけを言っていました。植物は衆生と言わなかった。例えばこの教壇だとか黒板などの物、あるいは建物などには心がないから、それは《生きもの》ではないというようにインドでは考えます。これが中国仏教の話になりますと、中国天台宗の第六祖妙楽大師湛然という人が『金剛錍』の中で草木成仏論というのを唱え出しました。草や木が成仏できないならば、何故あなたは木で造った仏さまを拝むのですか、どうして絵で描いた仏さまを拝むのですか。単なる木で造ったものをどんなにか拝んで幸せを願ったり、病気治してくださいなどと願っても、何も意味がないではないかと。草や木で造ったものでも草木は成仏できるのだから、つまりあれは仏だからこそ、拝む対象となるのである。この考え方は中国仏教の大きな成果になります。そしてさらに日本仏教はもう一歩先を行きます。仏さまはどこにいる? と言ったときに、まさに桜の散る様だとか、小川の流れのさざ波の音の中とか、朝露の一滴の中に、実はそこが仏さまの世界なのですよ、大自然の中の息吹こそが仏さまの世界だから、山も川もひいては地球とか、大宇宙そのものが仏さまそのものなのです。だから一つになれる。これは日本仏教に独特なところです。これを天台本覚思想といいますが、日本人の感性に深く根ざしているところです。ところがインド仏教では、《もの》はあくまでも《もの》であり、心はなく、まずそのようなことは考えません。そこがインド仏教の考え方と日本仏教の考え方で大きく違うところです。

 次に、五蘊を展開すると三科の分類では、五蘊、十二処、十八界と分類されます。さらに五位七十五法というのがあり、人間の心作用だとか行動形式、あるいは絶対譲れないそのもの、ダルマといいますが、七十五のダルマがあります、ということです。そしてもう一つが「縁起」という考え方。これは十二支縁起として有名です。無明(無痴)から始まって行(潜在的形成力)、識(識別作用)、名色(名称と形態)、六処(眼耳鼻舌身意)、触(接触)、受(感受作用)、愛(渇愛・妄執)、取(執着)、有(生存・存在)、生(生まれること)、老死です。これがお釈迦さまのいわれる四諦八正道、すなわちこの世は自分の思いどおりにはならない。それはなぜか、その原因はこの世が移り変わっていく、すなわち縁起の世界でつくられているからだという根拠となります。そしてさらに四諦には、解決手段があるし、そこに留まるのではなくて、ちゃんと救われる手段がある。つまり涅槃という境地です。では具体的に何をしたらいいのか? それは八つの正しい行いをしなさい、ということがもともとの考え方です。しかしその四諦八正道にしても、正しい行い、あるいは有名な妙法蓮華経(サッダルマ・プンダリーカ・スートラ)というのは「お釈迦さまの説いた最も正しい教え」というのが表題の意味ですが、どちらも正しい教えを指します。ただ《正しい》とは何かということはどこにも書いてありません。それは自分で見つけて自分で行なわなければならない。キリスト教では聖書に何々をしなさいと書いてあるから、そのとおりに行なえば神様の言葉どおりになります。しかし仏教は試行錯誤しながら自分で見つける。ただ解決手段はあるのだ、ということだけを表明してくれてるのが仏教の大きな特徴になります。ではその原因、結果、縁起というのはどのようなものかというと、六因四縁五果という構成で成っている。

(二) 無我


 そして二番目は「無我」です。仏教はずっと「無我」を説いて、その主体が何かということで何度も議論が重ねられております。その議論が重ねられた中で、特徴的なものがあるのですが、例えば「無我」といったときに、それを証明するためにはじめは五蘊という考え方を示しました。ところが五蘊は因縁によって和合するのだけれども、その因縁をとどめる輪廻の主体がわからない。そこで無表業という物質が存在し、それがあるんだっていうことをいいだします。それをもとに説一切有部という部派は、法(ダルマ)は三世に実有するということを主張しました。なぜ実有かというと、おそらく《お釈迦さま》と《お釈迦さまの教え》を無くしたくなかったというのが本音に考えます。これは部派仏教教団の教理のギリギリの限界なのです。どんなにいろいろな解釈をしてもお釈迦さまから伝えられてきた阿含経典を否定してしまうと、その教えすらなくなってしまうのだとという言い方をする。実は大乗仏教の空の概念はその点を指摘しているわけです。そうなると今まで自分がよりどころとして、正しいと思っていたことの根底がひっくり返されます。そこには踏み込まずに、無我をどうやって論証しようかというので、苦労したのが小乗部派の人たちかなと考えます。そこで実は三世が実有だみたいな話をするから、それはアートマンではないかということを言われる。今度は大乗仏教の方から、いや、そうではなくて輪廻で相続する主体は識である。その中でも阿頼耶識というのがそうなのだ、というのが大乗の唯識の考え方です。ところが唯識の阿頼耶識とアートマンとどこが違うのか、という議論がまた出てきて、議論が行ったり来たりしながら現在に続くわけです。中観派といわれている人たちからは、阿頼耶識だっておかしいではないかといいます。さらにそれが中国の天台思想の方にくると、一念三千の法門になると大丈夫だとか、いろいろな形で議論が展開されてくるわけです。

 さてここで、皆さんには何故アートマンじゃいけないのか、アートマンでは都合が悪いのか、ということを思っていただきたい。これにはいろいろなことがありますが、それでは何故仏教はそんなにしてまでアートマンを否定しなきゃならないのか、について話します。私なりの解答が一つあるのですが、これはおそらく、お釈迦さまの教えというのは、人間が仏になるわけですから、人間のもつ自由意思を否定することはない。ところがアートマンを認めてしまうと、その教理は運命の決定論に限りなく近くなるのです。現在でもインドのカースト制度が、何故なくならないか、つまりヒンドゥー教の死生観では輪廻転生するから、前世の行ないが後世に影響するわけです。今でこそインドの憲法では、カースト制度は否定されてますけれども、現実的には全然なくなっていません。しかもカースト制度による考え方ですが、例えば非常に貧乏でこじきの家に生まれたら、一生涯こじきをすることによって、その業がクリアされ、死んだ後にいいところに生まれるという考え方になります。ということは、現在のインドの子どもたちが、頭がよくて弁護士や医者、あるいは政治家になろう、サッカーができるからサッカー選手になったり野球の選手になろうといってもそれはいけないことなのです。それは前世での行為の結果として、今あなたがこの家に生まれたのだから、なにより家業をまっとうすることが、あなたの業を来世でクリアするための唯一の手段だと考えるからです。これは現代まで続いている因果関係、運命の決定論といえます。それに対して本来、因と果というのは一方向にのみ進むものですが、仏教の場合、その途中に「縁」という考え方を挿入します。つまり因縁の縁です。そこでは進むファクターが因から果への一方向ではなくて、別の方向へと進める働きをもちます。例えば今まで多くの人を殺してしまったけれど、お釈迦さまに出会った縁があって、ついには仏となることができた。そういう考え方です。これは自由意思というのが人生の行為の中に含まれてくることを意味します。いろいろな解答があるとは思いますが、皆様にも、では何故、アートマンがいけないのか。実際ウパニシャッドでは、自分自身の本来的ありかたとしてアートマンという概念がつくられてきました。そういう思想の一体どこがいけないのかということをご自身で考えていただきたい。

 仏教の特徴をいくつか挙げてきましたが、仏教の経典の中で五戒ということがいわれています。不殺生(殺すなかれ)、不偸盗(盗むなかれ)、不邪淫(他人の妻に手を出すな)、不妄語(うそをつくな)、不飲酒(心を乱すものを摂取するな)という五つです。これはお釈迦さまの時代を想像して考えてみると、そこはまるで治安のない時代、今の日本のように何か悪いことをしたら警察が捕まえてくれるような社会ならいいのですが、そうでなかった場合、戦争や内乱、大災害時とかで欲望に囚われた人たちのとる行動というのはいかなるものか。実はこの五戒というのはあらゆる論書の中でも最初に説かれるものですが、人としてあるための最低限のギリギリのところで考えられた思想の一つかな、と思っています。

 そして、善いことと悪いこと、絶対やっていけないことということで大不善地法というのがあります。これは五位七十五法の中にある、無慚と無愧という考え方です。無慚とは「自らの行為を省みて恥じる心の動き(慚)の無いもの」をいいます。また無愧とは「自らの行為を他に対して恥じる心の動き(愧)の無いもの」をいいます。つまり五戒があって、あるいはそれを実現していくために、人がしなければならない、絶対してはならないということは、実は人に対してと、自分自身で自分の行いを恥じるか恥じないかという、この二点がなかったら、これはまさに不善というだけでなく人のありかたとして成立しない。この慚愧の心をもたないものは、煩悩をなくすなどという大それたことはできるはずがない。そういう考えが最初期の仏教からの非常にスタンダードな考え方になっていると思います。

 お釈迦さまの教え、確かに素晴らしい教えがたくさんありますが、実は本当にこれでいいのかな? というようなことも正直言って山のようにあります。つまり仏教というのは、例えば十二支縁起だとか、あるいは議論として空とは何であるか、あるでもなくないでもなく、あるようなないようなみたいな、そんな言葉の議論、それはたくさんありますが、そうすることの背景というのは、もっと簡単なことではないかと思っております。つまり当たり前のことを当たり前にする、先ほどの四諦八正道の八正道もそうです。では正しいということは、一体どういうものなのか。それは自らにも問い直さないと出てこないことではないか。そして自分の頭で考えて自分で責任をとる。これは本当に当たり前のことですけど、仏教はまさにこれです。キリスト教の有名な話ですが、アブラハムが自分の息子を手にかけろと神様に言われたから、言われたとおりに自分の最愛の息子を殺そうとした瞬間に、神様は殺すのを止めアブラハムを試したのだという物語があります。それはキリスト教の一つの大きな考え方でありますが、仏教は誰かに強制されて何かをするということはまずありません。そうではなくて、自分の頭で考えて自分で責任をもつ、これが非常に仏教のオーソドックスな、おそらく時代を超えて、あるいは地域を超えての考えであると思います。

 それでは経典とは何か、私の感想ですが、「それを他の人もやってくれてるんだよ」とか、「こういう例もあるからあなたも頑張りなさい」という形で勇気づけたり、励ましてくださる言葉の集成、それが経典なのかなというようにも思っております。


三、おわりに


 現代の世の中というのは、まさに民主主義でもあります。日本は平和主義のとても素晴らしい世界の一つだと思います。それこそ第二次世界大戦後七十年間戦争はなかったわけです。何故なかったのかというのは、おそらく七十年前に戦争をしたときの本当に異常な体験というものが、大きな反省となって今の社会が築かれてきているからという気がいたします。しかし本当にこの七十年間で戦争はなかったのか? 確かに日本ではなかったのですが、世界をみるといろいろなことがあります。私は日蓮宗系の大学ですが、日蓮聖人のいた鎌倉末期というのは大変な時代だった、あのときの日蓮聖人の頑張りというのはすごかった、という話を先生方がされます。ところが鎌倉時代と現代では、どちらが子どもや人が死んでいるかというと、現代の方がいっぱい死んでいます。ただ私たちが見えているか見えていないかだけです。これは事実です。今、世界に眼を向けてもシリアだとかウクライナ、あるいはアフリカであるとか、本当に多くの事件があります。そういうときに自分自身の中を見つめない限り仏教はわからないと思います。例えばよく言われる物語に、フランス革命のときに押し寄せてくる民衆を見て、「あれはなんで来るの?」と尋ねた。「パンをよこせって言ってるんだよ」、「じゃあパンが無いのだったらケーキを食べればいいじゃない」と言ったという。これは単なる物語だと思いますけれども、実は私たち自身が、今そのような立場にいるのかもしれない。本当のところはどうなのか。自分自身にとって一体何がいいのか、そんなことを今回考えさせていただきました。どうかお釈迦さまのメッセージということについて、それはおそらく皆さん一人ひとりの受け止め方だろうと思いますし、強制されて、これがそうだよ、などということではまるでないわけですので、どうかそういうところで一つ考えてみていただければと思います。(終)

このページの先頭へ