大洞 龍明塾長

人類の誕生と進化(第28期スクーリング講義録)

2016年3月10日 仏教文化179号

第一部

鳩摩羅什三蔵法師銅像
花壇竣工とシルクロード巡礼

179-3-1.jpg鳩摩羅什師の足跡とシルクロード巡礼の地図
 四月十七日(平成二十七年)の入塾式で皆さんと顔をあわせてその後すぐに、中国・鳩摩羅什三蔵法師の足跡を辿る旅をしておりました。頭を剃髪したのは、九歳のときに得度をして以来です。ですから、もう七十年来の剃髪でした。

 その中国で、中国中央電視台(CCTV)というテレビ局による取材がありました。鳩摩羅什三蔵法師がお生まれになった古代キジ国の王城からキジル石窟、それから東の方へ行き敦煌、西安に至るまでの巡礼の旅のテレビ局による密着取材でした。その途上、各飛行場へ行きますと、中国の人が私の姿を見て、前へ来て拝まれるのです。日本ではなかなかそういうことはないと思いますが、中国の人の中に仏教がちゃんと深く浸透していると実感したことであります。

 鳩摩羅什師が生まれ育ったのは、古代キジ国です。古代キジ国は現在の新疆ウイグル自治区のクチャというところで、天山山脈のちょうど真ん中辺りです。砂漠と天山山脈にはさまれ、水が豊富で農業も盛ん、金銀・鉄・石炭を産出する非常に豊かな国でした。この国に鳩摩羅什師は三四四年に王子として生まれ、大乗仏教を初めて中国にもたらし、四一三年に西安で亡くなりました。

―アーリア人の民族移動

 キジ国の歴史を調べていると、ちょうど五千年ほど前、黒海の辺りに居たアーリア人の一部に民族移動がありました。彼等のうち、南ロシアを通り東へ行った一群がアルタイ山脈へぶつかり、そこでオアシス国家を形成します。

 それからおよそ千年後、再び黒海辺りのアーリア人が人口増加かその他の理由で世界中へ拡散しはじめます。一方はヨーロッパへ、一方はインドへ向かいます。その二つの流れとは別に、一部は千年前の集団とおなじように南ロシアを通って東へ向かったため、千年前に移住したアーリア人集団と衝突します。千年も隔てると、同じ民族でも敵同士になります。先住アーリア人集団は土地から追い出され、新しくローラン辺りに都市を造りました。後から来たアーリア人集団は、アルタイ山脈の東に、先住していたアーリア民族を追い出した場所に後に新たに自分たちの都市を造りました。そのグループの一部はアルタイ山脈へ行く途中で天山山脈の谷間を抜け、今のクチャに定住してオアシス都市を造りました。やがて古代キジ国となり、タクラマカン砂漠の周囲に点在する三十数カ国あるオアシス国家の中で一番繁栄しました。

 その後、九世紀になるとモンゴル高原にウイグル族が興り、猛烈な勢いで広がります。遠く古代キジ王国までやってきて、城を囲み、キジ国の男性を皆虐殺するのです。そして、女性と小さい子どもは奴隷にしてウイグル族の子孫を増やしていきました。

―母系文化としての扁平頭

 今でもクチャへ行くと、青い目の人が居たり、白い肌の人が居たり、金髪の人が居たりしています。本来ウイグル人というのはそうではありません。ところが、アーリア人の女性は残ってその子孫ができますので、隔世遺伝でそういう人が沢山居るのです。特に私が注目したのは、若い人たちの額が平らになっていることです。これは扁平頭といいまして、生後六カ月ぐらいまでに手で押し付け、扁平にするのです。なぜそんなことするのかというと、その方が男性はハンサムに、女性は綺麗に見えるという古代キジ国の美意識の伝統が残っているためです。

 玄奘三蔵は六世紀に古代キジ国を訪れ、「この国の風習として生れたばかりの子供の額を板で押さえて扁平にする」と、『大唐西域記』に残しました。しかし日本の学者の人は、こう書いてあるけれど、その証拠となるものは何もないから、間違いだろうと言っており、中国の人たちもそう思っていました。

179-4-1.jpg2013年9年16日鳩摩羅什銅像除幕法要(古代キジ国王城跡地)
 ところが、一九七八年、クチャのスバシ故城という大きなお寺の荒れ果ててわずかに残った仏塔の北側が急に陥没し、その中から木の棺桶に入った一体の白骨体が現われました。調査したところ、その人の頭は扁平になっていました。三世紀から四世紀ぐらいの人で、およそ二十歳を少し過ぎたぐらいの女性、背の高さは一七五センチだったそうです。白骨体で一七五センチですから、百八十センチ近い長身だったろうと思われます。そして、傍らに赤ちゃんの崩れかけた白骨体もありました。恐らく、赤ちゃんを産んですぐ両方が亡くなったのではないかということです。仏塔のすぐ北側に埋葬されているということで、よほど身分の高い人であるに違いありません。

179-4-2.jpg2015年5月19日 花園完成法要
―鳩摩羅什像の建立と花園

 鳩摩羅什三蔵法師は、同じく三世紀から四世紀の人です。そして、六世紀でも、いまだに扁平頭の風習があるということを玄奘三蔵法師は言っています。すると、鳩摩羅什三蔵法師も、必ず扁平頭であったに違いないと私は思いました。私は二〇一三年九月十六日に、キジ王国王城址に台座とも高さ七メートルの鳩摩羅什師の銅像を建てたのですが、扁平頭のお顔をした銅像にしてもらいました。< div="">

 そして今年行ったのは、その銅像の周りに造った直径十メートルの花園の竣工式のためです。公園の中ではありますが、銅像の周囲は砂漠だったので銅像を荘厳するために花園を造りました。それをどこで聞いたのか、中国中央電視台がそれを撮影したい、「鳩摩羅什」というテレビ番組をつくりたいと申し出てきました。全部で百五十分、それを六回に分けて放映したい。その中の一つを、あなたが巡る鳩摩羅什師の旅にしたいと密着取材をされたのです。
 

第二部

 今回お話をしたいと思うのは、宇宙の創生と人類の歴史と、それから宗教というものは、どういう発展、推移をしてきたかということです。時間の都合上、できるだけ簡略にお話を進めて参ります。


Ⅰ 宇宙の創生


 宇宙の最初は無です。何もない。何もないところから、百三十七億年前に、ビッグバンが起こります。「無が揺らいでビッグバンになった」、これはスティーブン・ホーキングという物理学者が述べたことです。

 私は、これは無ではないと思っています。仏教的に言えば、これは空(くう)です。空は、無でもない、有でもないことです。ですから、むしろ空が揺らいでビッグバンが起こったのだと説明した方が分かりやすいのではないかと思います。

 そして太陽系が四十六億年前に出現し、地球が誕生したのが三十八億年前です。十九億年前には、地球上に最初の超大陸ができました。そして五億四千万年前、カンブリア紀に生命の大爆発が起こります。ところが六千五百万年前には、巨大な隕石がおそらくメキシコ湾辺りに落下し恐竜が絶滅してしまいます。その後、地球は非常に寒い時期に入り、その中で生き残ったものが、現在の私たちにつながる生命になってくるのです。

Ⅱ 人類誕生


①大地溝帯(七〇〇万年前)

179-5.jpgアフリカ大地溝帯
 五千万年前に、真猿類という猿の先祖が出現します。そして七百万年前にヒト科と類人猿とが分化しました。

 なぜ、分かれたのでしょうか。

 アフリカ大陸には大地溝帯が南北につらぬいており、この時期地下から噴出するマグマで大地が二つに分かれました。地下から押し上げられた大地は、大きな山を造ります。するとその山を越える空気は乾燥し、森林を育てることができません。一方、山の手前では雨が降り、森林ができるのです。そのとき類人猿は、縮小する熱帯雨林から出ないままの生活を続け、ほとんど進化もなく現在に至っています。森林がなくなった平地のところで、二足歩行の人類が出現しました。二足歩行の初期の人類としてよく知られているのはアウストラロピテクスです。
  
②肉食と草食(二五〇万年前)

 二百五十万年前になるとアウストラロピテクス属が二つに分かれて、パラントロプスとホモハビルスが誕生します。この時期、地球は不安定な気候が続き食糧が少なくなります。パラントロプスは、草の根や木の実を食べて生活していました。ですから、強靱な体もできず、脳も発達しません。それに対してホモハビルスは、効率よくエネルギーを摂取できる肉を食べるようになります。ここで大きな差ができ、ホモハビルスはさらに進化を続け、パラントロプスは滅亡していくという道筋を辿りました。

③脳の発達(一八〇万年前)

 その後地球は氷河期を迎え更に苛酷な環境におかれます。百八十万年前、ホモハビルスが進化し、脳が非常に発達したホモエルガステルがアフリカで誕生します。彼等のうち、アフリカを出たのがホモエレクトスと呼ばれます。インドネシアへ向かったものがジャワ原人、中国へ向かったものが北京原人です。ジャワ原人は一万二千年前ぐらいまで、北京原人は五十万年から三十万年前まで生息していたと言われています。
 
④ネアンデルタール人(八〇万年前)

179-6.jpgネアンデルタール人(左)とホモサピエンス(右)
 再び氷河期に入り、アフリカに残ったホモエルガステルは八十万年前に三つに大きく分かれます。そのうち食糧を求めてアフリカから中東を経てヨーロッパへ行ったものがネアンデルタール人、シベリア方面へ行ったものがデニソワ人、そしてアフリカに残ったものがホモハイデルベルゲンシスです。デニソワ人は、およそ四万年ぐらい前に滅び、ネアンデルタール人はおよそ三万年ぐらい前に滅びたのではないかと考えられています。ホモハイデルベルゲンシスはアフリカで進化を続け、二十万年前にわれわれの祖先であるホモサピエンスになったとされています。

 ここで、ネアンデルタール人とデニソワ人とホモサピエンスの混血の問題が起こってきます。最近のDNA研究によると、私ども現生人類はアフリカ原住民以外、皆一パーセントから二パーセントは、ネアンデルタール人のDNAを持っているそうです。特に皮膚に関わる遺伝子を多く受け継いでおり、七十パーセントのヨーロッパ人は体色に関する遺伝子が、六十六パーセントの東アジア人は皮膚と体毛に関する遺伝子がネアンデルタール人由来のものだということです。いわゆるブッシュマンと呼ばれるアフリカ原住民はネアンデルタール人の遺伝子を持っていなかったということですので、全く他のホモ属と混血しなかった、原生のホモサピエンスはわずかにブッシュマンだけだということになります。

 また、デニソワ人の遺伝子は、メラネシア人に五パーセント、アジア人に数パーセント、遺伝子が残っているということです。加えてデニソワ人の遺伝子には、ネアンデルタール人の遺伝子が〇・五パーセント流入しているということで、ホモサピエンスとデニソワ人とネアンデルタール人は、混血をしたことになります。

⑤出アフリカ

 私どもの祖先は、アフリカ出身です。アフリカ大陸を出て、世界各地に分かれていきました。それは、今のところおよそ四万年から八万年ぐらい前、小規模の集団によってなされたとされています。それ以前にデニソワ人・ネアンデルタール人が出アフリカをしていますので、彼等と混血をし、進化しながら、人類の文明が発達してゆくのです。

⑥ネアンデルタール人の文化

 ネアンデルタール人は、文化と呼べるものを持っていたでしょうか。

 ネアンデルタール人も、晩期の集団は石器を加工する技術を身につけていたようです。また、死者の埋葬も行っていました。ドイツからは四十五歳の老人の埋葬跡が出土し、老人を非常に大事にする倫理観を感じることができます。さらにシャダニールというイランにある洞窟内のネアンデルタール人を埋葬した遺骨の周辺から、花粉が大量に出土しました。ということは、花でもって亡くなった人を飾って埋葬したことが分かり、宗教の表れと考えることができます。

 そして、初期のホモサピエンスになりますと、より明らかな儀式の痕跡があります。頭部を東にした屈葬や、赤い顔料を遺体に塗布するなどの埋葬の形跡が、ほとんどの遺跡の中から出てくるのです。つまりこの時点で、なにかしらの宗教的儀礼を行っていることになります。

⑦旧石器時代(~一万年前)

 ホモサピエンスが定住を始める前、狩猟採集の時代には、自分たちを大自然の一部と見なしており、自然とは対等の関係です。何かを信仰するということはありませんが、大自然に感謝して通過儀礼や獲物を得るための儀礼を行うようになります。

⑧新石器時代(一万年前)
 今からおよそ一万年ぐらい前に農耕が始まりました。ここで宗教観の大きな変化が起ります。農耕とは人間が自然を支配できるようになることです。それでも自然に勝つことはできませんので、自然と神とを仲介するため供養を行うようになります。また、農耕・牧畜による財産ができ、祖先を敬うようになります。亡くなった先祖が自分たちを護ってくれるという先祖崇拝の萌芽がありました。


Ⅲ 枢軸時代の宗教


一、ヤスパースの枢軸転換期説

179-7-1.jpgカール・ヤスパース
 ヤスパースという、一八八三年から一九六九年まで活躍したドイツの精神科医であり実存主義の哲学者であった人が、歴史を大きく四つに分類し、枢軸転換期という思想・哲学・宗教観が大きく変化する時期に注目しました。

 一つ目は先史時代。このとき初めて自覚的人間というものが生じます。道具・火・言葉・社会の誕生です。

 二つ目が古代文明時代。大帝国が誕生し、国家統治のため文字が生まれます。このときの人間は大規模な組織の中で個人の自覚が希薄です。

 三つ目が紀元前千年ぐらいから始まる第一の枢軸転換期です。古代文明を支える大帝国が崩壊し、人間は世界の恐ろしさ、自己の無力さを経験します。そこで解脱と救済を求めるようになるのです。世界中で同時期に起った大きな宗教的発展です。

 そして、最後は科学の時代。十八世紀以降です。ここに第二の枢軸転換期が始まります。科学が生まれたことにより、世界は統一体となり、新たな枢軸時代を、今われわれは経験しているというのです。従来の宗教という概念がここで見直され、科学的な真理にも法則にも、何ら影響されない、新しい宗教というものは、ここから始まるのだということになります。

 ここまでは宇宙の創生からホモサピエンスの進化を見て来ましたが、ここからは、古代文明が崩壊し、新しい宗教観が生れる枢軸転換期に注目したいと思います。

二、古代国家(前三千年ごろ~)

179-7-2.jpgメソポタミヤ文明期につくられたジッグラト
 古代文明時代、大帝国の出現とともにその国家を護る力の強い神が誕生します。この時代の特徴は、神々に祭祀を捧げるための神殿と、宗教に専門的な司祭が生れたことです。さらに、大きな集団で生活する社会生活により道徳観念が生まれ、罪の意識が育ってきました。

―メソポタミア文明 古代文明の中でも世界で最初に発達したのはメソポタミアの地方です。紀元前四千年紀にメソポタミア文明が誕生しました。いくつか都市国家が成立し、各都市にそれぞれ神が祭られ、神殿が造られ、供養、儀式が行われていたようです。
―エジプト文明 エジプト文明は、前三千年紀に興り、前三十年にローマ帝国によって滅亡しました。死後の世界を信じており、神とみなされた王が死後の永遠の生活をするためピラミッドを造って埋葬しました。

―インダス文明 インダス文明が興ったのは、メソポタミア文明から遅れること千年ほど、前三千年ごろになります。そしてその崩壊の一因とされているのは、アーリア人のインド侵入です。

 前四千年頃より、コーカサス地方にいたアーリア人は世界で初めて馬を飼い始めます。そして、前三千年ごろには、世界中へその馬を利用して拡散していきます。インダス文明は、アーリア人の侵入を受け崩壊し、それと同時にアーリア人の文化がもたらされました。

 このとき持ち込まれたアーリア人の宗教は、火への信仰を持ち、神に犠牲獣を供えて祈りをささげるというもので、莫大な生贄を必要とします。

 一方で、宇宙の神々を讃えるヴェーダ教というものが同時期にインド独自に発生します。アーリア人のもたらした宗教と混ざり、過度に儀礼的なインドの宗教の原形がここにできました。

―ギリシャ文明 ギリシャ文明は前二千年ごろから栄えだします。ギリシャ文明の宗教は、神々が大変人間に近い様子をしています。人間か神か分からない、神様が人間に恋をしたり、子ども産ませたりという神話が多く残っています。

―黄河文明 黄河文明は、前三千年に始まります。東アジア最古の農耕文明です。殷の時代からは天文学が発達し、天の動きによって政治が動かされていました。

―日本 古代日本の宗教 日本へホモサピエンスが到着したのは四万年ほど前のことです。縄文時代は一万年ほど前にはじまります。私どもの遺伝子の中には、縄文人の遺伝子が残っています。ところが中国や朝鮮半島には、縄文人の遺伝子はありません。そのため、日本人は独特な遺伝子を持っていることになります。

 日本の古代の宗教観を代表するものとして、三世紀ごろ卑弥呼がシャーマニズム的政治を行っていたという記録があります。またそれ以前からアニミズムの信仰があり、神道につながります。

三、古代国家崩壊と第一の枢軸転換期

インド最古の仏塔
 ヤスパースの説によりますと、これら古代文明・大帝国の崩壊後、第一の枢軸転換期が訪れます。個人は世界の恐ろしさと自己の無力さを経験し、個人の解脱と救済を願うのです。ですから、このような枢軸転換期には、宗教の大きな転換があります。

―インド 輪廻転生の否定と肯定 アーリア人の宗教とヴェーダ教が作り出した、形式主義に陥り天災や不幸の原因を儀礼上の失敗である、という考えに懐疑的な人たちの中から新しい宗教が生れ始めました。初期のヒンドゥー教です。そこから、ジャイナ教が生まれます。輪廻や業からいかに解脱するかを考え、過去の業を除いて新たな業を生まないための厳しい修行をするものです。

 同じころ仏教が前五百六十年ごろに生まれます。仏陀が開祖で、苦行を否定し、輪廻転生も否定し、涅槃寂静に至ることを教えています。

 最後に、現在のヒンドゥー教が生れます。業・輪廻・解脱の三つをまとめたヒンドゥー教をつくり上げました。

―中国 道教・儒教・仏教 大きな転換期は殷王朝の崩壊で、ここが枢軸転換期になります。この時代に生れたのは道教と儒教です。

 道教は、前六世紀に老子が唱えたものです。

"道"とは、宇宙の秩序を司るもの。老子は道への不介入を説き、宇宙と調和すると不老不死がもたらされると考えます。人間の力より自然の力に頼る思想です。

 儒教は、前五五一年孔子によって創られました。これは道に従い、知恵を養うことで優れた秩序ある社会をつくる人材を育成するという思想です。皇帝への忠誠を忠として重んじ、親への敬いを持つ人間らしさの徳を養うというのが孔子の説です。その孔子の説をひっくり返したのが孟子です。孟子は、もし皇帝が絶対であれば皇帝が間違ったことをしても、皇帝に従うか。いや、それは天の道に背くことになる。だから、皇帝が天の道に背くのなら皇帝を代えるべきだ、という思想を生みました。

 後になって、一世紀ごろに、仏教がインドからもたらされ、三つの宗教が融合し中国の思想の骨格が形成されました。

―日本 仏教の伝来と鎌倉新仏教 日本には五三八年に仏教が伝来します。そして鎌倉時代になりますと、浄土宗・浄土真宗・禅宗・日蓮宗といった鎌倉新仏教が生まれます。私は、第二の枢軸転換期の時代に耐えられる宗教は、日本の鎌倉仏教を起点とする仏教ではないかと、思っております。

―ギリシャ哲学と一神教 ギリシャ文明の神の過度の擬人化で人々は神々を信じにくくなっていました。そこで、神に頼らず自ら真理は何かを考えるようになります。そうして前六世紀ごろ生れたのがギリシャ哲学です。魂の救済に対し叡智と哲学で挑むものです。

179-9.jpg道元禅師            親鸞聖人
 真理を追究する中で見つけ出された"絶対普遍的な何か"という考え方が後の一神教に影響を与えました。一神教がどうして発生したかといいますと、まずユダヤ教の歴史を遡ると、前十三世紀に、エジプトで奴隷として働かされていたユダヤ人を、神ヤハウェの啓示を受けた、モーゼが率いて脱出したという旧約聖書があります。その後、ユダヤ教徒が前五八七年にバビロニア捕囚に遭い、このときにバビロニアで発展していた善悪の神を持つゾロアスター教に影響を受け、ユダヤ教の大枠が形成されたそうです。

 キリスト教は、敬虔なユダヤ教徒の家庭に生まれたイエスが創始者で、十二人の弟子たちが、世界中にその教えを広げていったわけです。

 イスラム教も一神教です。メッカで生まれたムハンマドが、瞑想中に天使ガブリエルから啓示を受けました。六一〇年のことです。唯一神アッラーは絶対であり、全知全能の神の前ではすべての人間は平等であるという教えをもって、イスラム教を創始しました。

 一神教は、唯一の神が天地を創造し、唯一の神が人間を創造し、唯一の神が終末に審判を下すということです。私はここには一つの恐怖観念があるように思います。

四、科学的真理と第二の枢軸転換期

 十六世紀、キリスト教では最後の審判が下されることに不安を抱く人々に対して免罪符を売り、お金を払えば神に助けられることができる暗黒時代がやってきます。
 そういったことに対する宗教改革が、一五一七年、マルティン・ルターによって提唱されました。その少し前、一四七三年には、コペルニクスが地動説を唱えています。
 これらによって、宗教が説くことに対する疑問が出て、一八四四年に「ニーチェはついに神は死んだ」という説を唱えだすのです。


Ⅳ 現代―人間の精神的主体性


179-10.jpgミケランジェロ「最後の審判」(バチカン宮殿内システィナ礼拝堂)
 民族によって、支配構造や人間精神の発達が一様でないので、一概にヤスパースの説のように第一の枢軸時代を前千年ごろ、第二の枢軸時代を十八世紀ごろとするには疑問がありますが、人間の思想・哲学・宗教という精神的枢軸に重点をおいて考えるならば、科学と矛盾しない思想・哲学・宗教というものは、こうなるのではないでしょうか。それはキリスト教ではルターの宗教改革以降に芽生え、日本では鎌倉仏教による禅の悟りと浄土教の信心というものが科学(化学・物理学・宇宙物理学)に耐えうる宗教であり、人間の精神的枢軸を形成していくことになるものと思います。

 ビッグバンの前は無で、何もなかったといいますが、仏教ではこれを空(くう)と捉えます。空が揺らいで、この世界が生まれた。神が造ったのではない。そして因縁生でありますので、様々な条件により、全て空に戻ります。神が審判を下して、人間を天国へ迎える、地獄へ落すというのではありません。空に戻るのです。そういう思想が、ヤスパースのいう科学的真理と矛盾しない第二の枢軸時代の一番中心になるのではないかと私は思っております。禅の悟り・浄土教の信心は表現することが難しい空の世界を表しているのです。その悟り、信心の境地に自分を導いてゆくことが仏道修行であります。しっかり勉強していただいて、ご自分の人生の未来を開く心境を追求していっていただきたいと思います。佛教のある一部だけでなく、人類史、あるいは宇宙史といった全体を俯瞰して、何かをつかんでいきたいものです。(終)

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