渡辺章悟先生

大乗仏教論(第29期スクーリング講義録)

2016年9月10日

はじめに

1、一般的な大乗仏教の記述とその特徴

(一) 高校の教科書の記述
 大乗は在家者中心である。部派との関係では大衆部の流れを汲むとする記述あり。なお、部派や大乗の記述がないものさえある。

(二) 一般の辞書的

・「紀元前後頃からインドに起った改革派の仏教。従来の部派仏教が出家者中心・自利中心 であったのを小乗仏教として批判し、それに対し、自分たちを菩薩と呼び利他中心の立 場をとった。東アジアやチベットなどの北伝仏教はいずれも大乗仏教の流れを受けている。」(広辞苑)

・「西暦紀元前後からインドに興った仏教の革新運動のこと。ゴータマ・ブッダ(釈尊)滅後まもなく、出家の仏教者たちは遍歴の生活をやめ、次第に僧院に定住し、王族や豪商たちの経済的援助のもとに学問と瞑想に専心するようになった。この初期の出家仏教は多 くの学派に分れていたので部派仏教と呼ばれる。出家の仏教者には僧院に住む声聞(仏 弟子の意)と一人で山野に修行する独覚 (縁覚ともいう)とがあったが、ともに阿羅漢という聖者になることを最高の理想としていた。これに対し、革新仏教の信者たちは仏陀と なることを理想とし、みずからを菩薩(仏陀のさとりを求める有情)と呼んだ。紀元後一世紀に成立した八千頌般若経の中で革新仏教はみずからを大乗と称し、従来の部派仏教 を小乗とおとしめて呼んだ。小乗教徒が自利にのみ走り、一般の在家信者を顧みない傾 向が強かったのに対し、菩薩たちはみずからが仏陀となることとともに、あるいはそれ 以上に、あらゆる人々をさとらせ、救済しようとする慈悲を強調したから大乗という。」(岩波仏教辞典)

2、現代社会の大乗仏教

 私たちの世界には仏教徒が約三億六千万人いるといわれる。これは世界人口の約五・九%を占めているが、その割合は、キリスト教三十三%、イスラム教十九・六%、ヒンドゥー教十三・四%についで、世界第四位の宗教ということになる(無宗教、中国系の民俗信仰を除く)。その仏教徒のうち、約二百五十万人が北アメリカに、百五十万人ほどがヨーロッパに 住んでいるが、大部分の約三億五千万人はアジアに住んでいる。

 仏教は一般的には、大乗仏教(北伝)と上座部仏教(南伝)とにわけられる。しかし、その教義や成立の時期、儀礼などが異なるため、大乗仏教から密教(タントラヤーナ)を別立てにすることもしばしばある。『ブリタニカ』もこのように分類をするが、その統計によれば、大乗仏教徒の人数は、仏教徒全体の五十六%の二億百六十万人、上座部仏教徒(小乗)は三十八%の一億三千六百八十万人、密教(タントラ乗)が六%の二千百六十万人で、このうち大乗仏教が広がったのは東アジアの漢訳文化圏であり、タントラ乗はヒマラヤ周辺諸国のチベット語 文化圏である。

 しかし、驚くべきことに、日常的にサンスクリットの大乗仏典を読誦している地域も残っている。それは仏教の故地インドではなく、隣の国ネパールである。最近のインド仏教は、新仏教徒(ネオ・ブッディスト)として知られるが、彼らの信仰するのは上座部仏教であり、これにチベット系の人々により、タントラ乗の仏教がかろうじて信仰されているにすぎない。しかし、山間の辺鄙な地域のネパールでは、チベット仏教とともに、ヒンドゥー教と習合した独特の大乗仏教が守り続けられている。

Ⅰ 大乗仏教のスケッチ

1、大乗仏教とは

 大乗仏教は仏滅後、およそ四、五百年経過した紀元前後に北西インドで起った。その頃、 北西インドではクシャーン朝、南インドではアーンドラ王朝が勢力を拡大しつつ、比較的安定した時代に入っていた。この時代になって、仏教の形態や思想は大きな変化を遂げるようになった。

 それまでの仏教では、開祖シャカムニ・ブッダの崇拝がおこなわれていたが、大乗になると、たくさんの仏(ブッダ)たちの信仰が生まれ、それらの仏が活躍する世界が説かれる。それに伴い、ブッダに到るための修行法や救済法が、長い時を経て確立していった。その間に、仏像が生まれ、祈りの形も多様になり、インドから中央アジアを経由して中国・朝鮮・日本へ、あるいは直接チベット・モンゴルなどの東北アジア一帯に広まった。このため、南アジアに広まった南伝仏教に対する北伝仏教とほぼ同じ意味で言われている。

 その言語領域はサンスクリット・プラークリットのインド系言語から、中国周辺の漢字文化圏、チベットを中心とするヒマラヤ周辺地域のチベット語文化圏が主な地域であり、その様相は地域的な特徴を含み多様な形態を持つにいたっている。仏教が世界宗教といわれるのは、この大乗仏教の広がりと多様性によるものである。  

 しかし、この大乗仏教がどうして成立したのかについては、実は学界でも定説はない。そこで、以下には歴史的な考察から大乗仏教の姿をスケッチしてみよう。

182-3.jpg
熱心に聴講-脳裡とメモに!

2、大乗仏教の成立とその背景

 ブッダ(紀元五~六世紀)滅後、百年から百五十年ほどたって、仏教教団は生活規定の問題に端を発して次第に分裂し、紀元前百年頃には二十前後の部派が生じていた。その間、各部派は緩やかな独立を保ちながら、それぞれの聖典(三蔵)を整備し、自派の教理体系の確立に努めた。宗教的実践や教団の運営は制度化され、それぞれの地方の王家や資産家の経済援助の下で、僧たちは僧院に定住し、学問と修行に専心することができた。そのために仏教の教団化と教理の体系化が成し遂げられたと言って良い。

 しかし、専門家のための体系化された解脱への実践は現実的には困難なものであったし、 深遠な教理は多くの人の良く理解できるものではない。このような高邁な宗教体系はしばしば形骸化する傾向にあった。加えて今は亡きブッダをどのように理解してゆくかは、残された仏教徒にとって大きな問題であった。

 このような伝統的な出家仏教の反省とブッダの死の克服から、出家と在家を巻き込みながら、ブッダの宗教性を見直す運動が紀元前後から起こってきた。彼らは古い信仰を再解釈し、あるいは新しい教えを提示しつつ、次々と大乗経典を生み出していった。それが大乗仏教運動である。

 しかし、大乗仏教の起源やその内容がどのようなものであったかは、歴史的・地域的な相違があり一概にはいえないが、少なくとも仏塔崇拝に端を発した経巻崇拝と深いつながりを持っていたこと、教理の上からは大衆部に類似した思想を多く持っていたことが指摘できる。おそらくは、大衆部のブッダ論、菩薩観、仏塔崇拝、修行道を核としつつ、有部等の教理を広範に取り込みながら、新たな自らの体系を構築していったので あろう。

 彼らは大乗の諸仏・諸菩薩を礼拝し、大乗経典を聖典としていたが、大乗仏教の律蔵は存在しなかったから、大乗仏教の出家者は何れかの部派の僧団で出家受戒し、部派の僧院の中で生活していたのである。彼らが教団化してゆくのは、碑文によれば四世紀以降である。このころになって寄進する側とそれを受ける教団に大乗の名を記した資料が現れ始まることがその根拠である。

3、仏塔崇拝とブッダ観の変遷

 大乗仏教の発生は仏塔崇拝と仏身観の展開に深く関わっている。仏教徒はシャーキャムニ・ブッダの入滅後、その遺体を荼毘(だび(火葬)の儀礼に付し、仏舎利は八カ所に分骨された。そこから仏塔(stūpa)が造られ、聖地巡礼が盛んになり、礼拜対象としての仏塔の数も次第に増えていった。仏塔は仏弟子の遺骨や遺物なども納められ、僧院の内外に設けられるようになった。やがて、仏塔を中心にする信者の集団も生まれ、そこに集まる信者のためにブッダへの信仰を説く専門的説法者も登場し、ブッダすなわち仏塔への信仰を説くようになる。ブッダの教え(法)を守る教団とは別に、ブッダ(仏)そのものへの崇拝が中心となり、その信仰は部派や出家者・在家者の区別なく一般信者の間にも広がるようになっていった。

 また、ブッダは仏教のダルマ(真理)を覚知して、目覚めた人(ブッダbuddha)になったのであるから、ブッダの目覚めた真理やその教えこそが、ブッダという聖なる者を可能にしたとも言えるのである。〈教えこそがブッダの本質である〉ということから「教えからなるブッダ」という意味の法身(ほっしん(dharma-kāya)という解釈が成立する。それは歴史的存在であるブッダを超え、ブッダの永遠性を確立すると同時に、現実の世界に現れる複数のブッダを想定する可能性を開いたのである。さまざまな衆生の救済のために、時や場所や機根に応じて現れる応身(おうしん(nirmāna -kāya)という考え方や、ブッダとなるための因としての行(ぎょうを積み、その報いとしての完全な功徳(くどくを備えた報身(ほうじん(saṃbhoga-kāya)という仏身観(三身説)なども大乗になって発展したものである。おそらく、それはヒンドゥー教の化身(avatāra)という考え方も影響していたものと思われる。こうして、今はなきブッダから、現前するブッダ(仏塔)、さらには他方世界に存在する複数のブッダの個性化といったブッダ観の変革が大乗仏教の興起と展開に大きく関わったのである。

 このように大乗仏教は〈一仏世界から多仏世界へ〉と変質していったが、それらを具体的にあげれば、西方の極楽(sukhāvatī)世界に住し、無限の寿命をもつ(amitāyus 無量寿)、あるいは無限の光明をもつ(amitābha 無量光)という阿弥陀仏が浄土教の教主としてよく知られる。その他、東方の浄瑠璃世界に住し、十二の大願を発し、衆生の病苦を除き、安楽を与えるとされる薬師(Bhaiṣajyaguru)仏、東方の妙喜(Abhirati)国の大目如来のもとで発願修行して成仏し、現に妙喜世界において説法するという阿閦(Akṣobhya)仏、欲界の第四天である兜率天に住む未来仏としての弥勒(Maitreya)仏、密教の教主でこれら十方諸仏を全体的に包括する法身仏である大日(Mahāvairocana)仏などが信仰されるようになる。

Ⅱ 大乗仏教の思想

1、菩薩の思想とその展開

 仏教徒はブッダへの憧憬(どうけい讃仰(さんぎょうから、ブッダを次第に超人化し、神格化していった。ブッダの偉大な生涯は仏伝文学に描かれ、さらに大乗になると、悟りに向かって発心した者を「菩薩」と呼ぶようになる。ブッダの複数化はこのような菩薩の出現を予想しているのである。

 そこでは出家者か在家者かを問わず、すべての者がブッダと同じ悟り(anuttarā samyaksambodhi- 無上正等覚(むじょうしょうとうがくに到達することができるとし、その目的に向かって発心(ほっしんするものをボーディサットヴァ(bodhisattva 菩提薩埵(ぼだいさった)、略して「菩薩」と呼んだ。ボーディ(bodhi)とは「悟り」、サットヴァ(sattva)とは「衆生」という意味であるから、菩薩とは「悟りを求める人」と解釈されたのである。この意味では菩薩は普通名詞である。

182-5.jpg ただし、菩薩の語はすでにブッダの前生物語である「ジャータカ」(Jātaka)文献で、成道する前のシャーキャムニ・ブッダ(釈迦牟尼仏)の呼び名として用いられる。そこでは菩薩は前世にさまざまな善行を積んで、この世でブッダとなったと説かれる。そして、その転生を繰り返して修行を積むことによって、ブッダとなったとするとき、これら複数の菩薩はシャーキャムニの前生ではあるが、すでに複数のブッダの存在を想定していることになる。この意味ではジャータカ等の讃仏文献こそが普通名詞としての菩薩の複数化へ至る道を提供したと言える。いったん菩薩の普通名詞化が進めば、後はブッダが普通名詞として解釈されるのに長くはかからなかったであろう。

 大乗経典では、それまでの一仏世界から、三世十方という時間的空間的広がりを持った世界観が確立し、多方面に広がった世界が意識される。それら他方仏国土において、それぞれのブッダが説法する姿が描かれ、多くの菩薩がそれぞれのブッダの教えを聴聞し、その中には将来ブッダになることを授記(予言)される菩薩も登場する。それは新たなブッダの誕生が告げられると同時に、次世代へと連綿として続く仏教世界の拡充をイメージしている。このようにして、シャーキャムニ・ブッダをモデルとしたブッダ観が変革し、菩薩観も大きな展開をすることになったのである。

 このように、大乗においては、だれでも菩薩になれる可能性を生んだ。生きとし生けるものは悟りへの希求(菩提心)を起こすことによって菩薩となる。その心が重視されたのである。もちろん、部派仏教時代の文献でも菩薩はすでに声聞(しょうもん縁覚(えんがくと並んで三乗の一つとして述べられるが、そこでは前生の業によって生まれた業生(ごっしょうの菩薩〉という完全な福徳を備えた存在である。これに対して大乗では、すでに成道することは確定しているが、利他の誓願をおこして、敢えてこの世に生まれた願生(がんしょうの菩薩〉と見なされる。このような世のため人のために実践(慈悲・利他行)し、すすんでは悟りの真理によって現実社会の浄土化(浄仏国土)に努めるという姿勢を、上求菩提(じょうぐぼだい下化衆生(げけしゅじょうという。これが大乗の菩薩の特性なのである。

 大乗経典には、観音、文殊、普賢、地蔵、虚空蔵、日光、月光をはじめとして、数え切れないほど多くの固有の菩薩も登場する。大乗経典はこれらの菩薩を対論者として、慈悲にもとづく大乗の修行道によって悟りに向かうべきことを呼びかけたのである。

 以上のように、大乗仏教とは菩薩道、すなわちブッダになるための道の再編成であり、その教えを様々に説く経典を提示してゆく仏教運動であったといえる。

2、大乗仏教の思想的特色

 大乗の原語はマハーヤーナ(mahāyāna)というが、それは大きな(mahā)乗り物(yāna)の意味で、劣小な乗り物(hīnayāna 小乗)に対する。自分自身の悟りよりも広く一切の衆生を救おうという利他行の立場を、悟りという究極の目標に向かって進む乗り物に喩えたのである。

 しかし、最初には「ヒーナヤーナ」(hīna-yāna)という語はあまり用いられず、劣った信解を意味する「ヒーナ・アディムクティ」(hīna-adhimukti,-adhimukta,-adhimuktika)などと言われていた。従来の伝統的な仏教は「煩悩を断って修行者の最高の位である阿羅漢位(あらかんいを得ること」を目指していた。しかし、それに満足しない一部の仏教徒が、それらについて出家者を中心とする自己の悟りのみを目標とする「信解(しんげの劣った[者の]道」と断じ、自己の立場を大乗と呼び、その優位性を主張したのである。

182-6.jpg

 大乗は従来の修行者の階梯である預流(よる一来(いちらい不還(ふげん・阿羅漢(四向四果(しこうしか)といった声聞(しょうもん独覚(どっかく(=縁覚)の境地に満足してはいけない。そこに結びつく教え(経典)によっては完全な覚りに到達することはできない。大乗の教えによってのみ一切智を獲得し、完全な涅槃に到ることができるとしたのである。

 その思想的根拠となったのは「般若経」などで説かれる「空」思想である。従前の仏教が五蘊(ごうんの無常や無我を説き、解脱に至る道を示したのと同様に、大乗では一切のものは縁起していることから空であり、これに基づいた廻向(えこうや救済の思想を提示し、出家者のみでなく、悟りを希求するすべての人に対して開かれた教えを説いた。

 この空という語シューニャ(śūnya)は空虚であり、実体性がないという、「もの」のあり方を表現する語であるが、それによってすべてが成立する根拠にもなる。それはこの語が数学のゼロを意味するように、この単位があることによって大きさが計れる中心軸のような意味でもある。この語は初期の仏典でも用いられていたが、この考え方を再評価し、存在論の基盤とした点に大乗の特色が見られる。(終)

このページの先頭へ