• HOME
  • 新着情報
  • 第28期生 第1回妙厳寺・南無道場修行感想文

授業情報

第28期生 第1回妙厳寺・南無道場修行感想文

日付:2015年7月10日

 終了後受講生の皆様からは日蓮宗妙厳寺における修行を体験して、様々な感想が寄せられました。その中から一部、掲載させていただきます。


A組 篠宮 直弘

 今回の第一回修行に参加する前にも、仏教に関連する本は、禅宗、特に道元に関する本を中心に読んでいた。そうした中で仏教に対する考え方やイメージは持っていたつもりであったが、実際に「修行」という形で体験してみて、中途半端な知識など雲散霧消してしまう強烈な体験となり、仏教の入口を垣間見る貴重な体験となった。

 つくづく、仏教の信仰は、頭で理屈によってするものではなく、身体で感じるもの、体得するものであると思い知らされた。

 今回の修行の中でも、朝のお勤め、作務、食事、講話それぞれの経験が知識としてではなく「仏教そのもの」が体に染み込んでくるように感じた。初めは形式にこだわることに頭では理解に苦しむようにも思われたが、実際に体験してみると、言葉にはならない大切なものであると体は納得し、感動していた。

 住職様はいろいろ興味深い話をしていただいて、足のしびれを忘れることが何度もあった。特に曼荼羅の話は感動的で、それまで失礼ながら興味がなかった日蓮宗に、一気に惹かれるインパクトがあった。

 しかし、修行が終わって思うのは、ひとつひとつの話の内容よりも、仏道を志す者はどうあるべきかという心の持ち方を、体を通して体得させていただいたという感謝の思いである。今から思えば、正座で足がしびれれば、頭が働かなくなる。知識ではなく身体で講話を感じろということだったのかもしれない。

 総じて言えば、今回の修行は「仏教の心」を身体で感じ、仏道の入り口に立つことが出来た三日間であったと思う。
 
 次回の修行も、身体で心で仏道の道を感じ仏教を少しでも体得したいと思う。

 
A組 杉山 鎮夫

 今回の修行において、特に強い印象を受けた事項は、食事と入浴である。

 普段誰もが当たり前のように行っている食事、入浴と言う行為を、お寺での修行として経験したことは、仏教を学びたいと思い入塾した私にとって、とても有意義なことであった。

 食事に関しては、無論今までも、他の生命とその食事に関わる人々への感謝の念を持ってするべきだと頭では理解していた。しかし、実際に係になった方から給仕を受け、食前・食後の言葉を合掌とともにお唱えし、お茶とたくあんでお皿を拭ってお米(生命)を余すことなくいただくなど、お寺の作法に則って食事をいただくと、自分が食を受けることの有難さを改めて感じることができた。また、食器を洗う際には、お玉に付いた御粥の残りさえ無駄にせず鳥の餌とすることなど、普段ではとても思いつかないことであった。普段は消費という経済活動の一環として、あたかもこなすように行いがちな食事であるが、以後、たとえ時間に追われる中にあったとしても、改めて生命に感謝し、食事に対する姿勢を正していこうと考えさせられた。

 入浴では、後に入る人も一番風呂のようなきれいな状態で入れるよう、湯をかぶる際には浴槽の垢もすくって使うように指導があった。その風呂の湯もやはり他の人が薪を焚いて沸かしているものであった。核家族で、ボタン一つで適温の湯が出てくる生活を送っている私にとって、風呂の中にあって他人への思いを起こすことなど無かったため、食事をすること以上に「目から鱗」であった。私の生活が自分ではなく、他によってもたらされているものであることや、他人を思うことの大切さを再認識すると同時に、生活すべてが仏教の修行であるのだと学ぶこともできた。

 今回の修行を通じて、日常においても仏教的な観点を持って生活をするきっかけを得ることができた。世の中には数多くの仏教書があり、それらを手に取って学ぶことも多くあると思うが、お寺に身を置き、サンガの構成要件にもあるとおり、複数の人とともに修行をすることが、仏教を学ぶ上で肝要であると気づかされた三日間であった。

 
B組 松木 秀男

 今回の修行で最も印象に残ったことは、唱題行中の体験であった。

 個人的には、唱題というと団扇太鼓を叩きながら白衣の祈祷僧がつぶれた声で唱えるものといった先入観があり、自分自身が唱えることに始めのうちは少し抵抗感、違和感を持っていた。法華懺法のような美しい旋律の声明と安楽行品を漢音で読むことがオーソドックスな法華経の行ではないかなどという、勝手な妄想を抱いていたのである。

 従って、今回の唱題行では妙法に帰依する、妙法と一体になるためにお題目を唱えるのだと自分で作った理屈を考えながら唱えていた。しかしこれらは全く本質的なことではなく、かえって邪魔な知識であることに気がついた。

 数息観の後、初めは意識して唱えていたがそのうち前述のような唱題の意味を考える暇がなくなり、次に唱えようとする意識の前に既にお題目が発音されていて、それを聞いているという一瞬があった。このことが無我なのか、単なる認識上の錯覚だったのか判定できないが、知識や先入観から離れたところにある経験であったことは確かだったと考える。

 この経験をきっかけとして今日からは、自分で勝手に思い込んだり、比較したりする想念を止め、今なすべきことに余計な思念をはさまず、純粋に作業する時間を日常生活の中で増やして生きたいと思う。それがまず仏法の入り口ではないかと考えるが、この考えも捨て、ただ今の実践に邁進していきたい。

 
B組 村山 賢誌


 日常生活では、テレビや携帯電話、雑事、そしてインターネットと離れることができない。特に用事もないのに、パソコン画面でインターネット情報やメールを確認する日々を送る。ところが、修行に入ることでテレビを見ない、ラジオも聴かない。当初は、携帯電話に電源を入れておき、連絡が入れば分かるようにしておくつもりであったが、途中から思いきって切ることにして実際に切った。携帯電話やインターネットを通じたメール受信は仕事とも密接で休日でもスイッチオンの状態で、接続していないと落ち着かない。インターネットを中心とする情報環境に接続することに囚われているといってよい。しかし、一時期ではあったが囚われない時間を過ごすことができた。しかも何ら問題もないことを確認することもできた。如何に"囚われた"日常を送っていたかに気づかされた。修行での収穫であった。

 また、食事は少量で肉を用いず、根菜を中心に健康に良いものだった。不自由なく食べることができる日常の食生活と大きく異なるものだった。そして、調理された食材を最後まで丁寧に食べること、感謝して食べることからは、自分の日頃の食事のあり方を考える機会となった。これからは改めて、食事の有難さを考え続けたい。

 最後に、各講座では仏教の知識の少なさを確認させられた。同時に生活の中で、柱となるものを持つことの大切さを再確認することが出来た。

カテゴリー:授業情報

  • 平成29年度(第30期)塾生
    「塾生募集のお知らせ」へ
  • 卒業後、それぞれのあゆみ
  • カリキュラムのご紹介
  • 機関誌「仏教文化」
  • 東京国際仏教塾20年の歩み
  • 塾生統計等
  • プレスリリース

東京国際仏教塾

新宿事務所 〒151-0053
東京都渋谷区代々木2-4-3
町屋事務所 〒116-0001
東京都荒川区町屋1-2-1-3F

TEL:03-3809-5930 FAX:03-3809-5935

ウェブからのお問い合わせ

このページの先頭へ