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修了レポート 浄土真宗 「浄土真宗の要義とその特性」

日付:2016年5月10日

第28期 小林 悟志

 『人は死ぬ』これは真理である。江戸時代の歌人蜀山人の句に『今までは 人の事だと 思うだに 俺が死ぬとはこいつはたまらん』や室町時代の禅僧一休宗純は『自分が死ぬとは こりゃおどろいた』と詠んでいる。このように『死』は、普段遠いところにある他人事であるが、ある日突然身近にやって来て驚かせるのである。今日巷では、『終活』という自らの人生の終わりを迎える準備をすることがブームになっている。しかしこれはマスコミがつくった単なる幻想であり、ひろさちや氏は『執活』だと言っている。一昨年私は、死ぬことの恐怖から『死への準備教育』として日本の伝統仏教を学ぶことを始めた。学ぶ中で親鸞聖人が説いた『極楽浄土』は、死後の世界として大変魅力的であるが、どうしてそのような世界が存在すると言えるのか疑問であり、お釈迦さまが説いた教えとしても納得感が得られない。このような私の疑問・疑念をどのように理解したかを『浄土真宗の要義とその特性』として述べる。
 
 浄土真宗の宗祖は親鸞聖人であるが、親鸞聖人は一宗一派を開いて開祖になろうという意思は微塵もなく、そのことは『高僧和讃』に浄土真宗の開祖は法然上人であると著し、教学的立場ではどこまでも法然上人一師に依るとしている。『浄土真宗』という宗派名は、明治政府に認められるまで宗派名として用いることができなかった。現在も『浄土真宗』とつくのは本願寺派(西本願寺)だけであり、他派は『真宗』としている。親鸞聖人が著した『浄土真宗』とは、『浄土の真宗』と『浄土即真宗』という二つの意である。『浄土の真宗』とは、浄土門内を真仮に分ける解釈であり、真は真実であり第十八願、仮は権仮であり第十九願と第二十願の教義である。『浄土即真宗』とは、一代仏教を『聖道門』と『浄土門』に分ける立場である。よって『浄土真宗』とは、『浄土の真宗』の立場からは、第十八願の教義であり、『浄土即真宗』の上からは仏教の内の浄土教であることを意味している。浄土真宗における教義及び本尊であるが、これは真宗各派毎に若干の差異があるが、『真宗大谷派宗憲』では、『教義は、宗祖親鸞聖人が、佛説無量寿経に基づいて、顕浄土真実教行証文類を撰述して開顕した本願の名号を体とする往還二種回向を要旨とする』としている。『本尊は、阿弥陀如来一仏である』・『安置する影像は、宗祖聖人・聖徳太子・七高僧及び歴代門主である』・『正依の聖教は、浄土三部経・七高僧論釈章疏・宗祖聖人撰述である』。以上が浄土真宗の教義の一般的概要である。 では浄土真宗で説く『極楽浄土』とは、一体どのようなものなのであろうか。まず『浄土の実在性』である。私を含む多くの人が、死後行く場所として『極楽浄土』をイメージする。そのイメージする世界は、『観無量寿経疏』『阿弥陀経』に描かれている世界と類似する。これは生まれてから現在に至るまで様々な形で刷り込まれたイメージであろう。最初に『地理的実在』・『空間的実在』であるが、これについては地図上で指し示したり飛行機で行ったりすることが出来ないので実在しないことが簡単に理解できる。次に『観念的実在』である。これについては、私を含めて多くの人がその実在性を意識する。しかしこのような世界は、自分の都合で現れたり・無くなったりする世界である。そのような世界が絶対の世界として実在できるはずがないのである。『浄土』とは、『宗教的実在』と理解した。すなわち『業感所成』という善悪の行為が因となって、苦楽の報いを感受することにある。具体的には、悪行によって開かれていく世界を『地獄』と言い、清浄行によって開かれていく世界を『浄土』と名づけているのである。お釈迦さまや親鸞聖人の教えを聴き、念仏を申す事で感得できる世界であり、教えを聴こうともせず、念仏を称えようともしないで『浄土』の有無を論ずるのは意味がないのである。『極楽浄土』と書いたが、浄土真宗では『極楽』という言葉を基本的に用いない。親鸞聖人は、『極楽浄土』を『安養浄土』・『蓮華蔵世界』・『仏国土』・『報土』等様々な言葉で表している。それはどのような言葉をもってしても、浄土の本質を言い尽すことはできず、浄土の一部、一側面しか表現できないということであり、しかもそれは完全なるものではないと知っていたから、様々な名称を用いて解き明かしたのである。

 更に『浄土』を理解するのに『往還二種回向』という要義・特性がある。これは、親鸞聖人著『教行信証第一巻教巻』に『つつしんで浄土真宗という教えを拝察すると二種の回向あり、一つには往相、二つには還相なり』と著されている。往相回向とは、阿弥陀仏の救いによって誰もが浄土に往生できることをいう。還相回向とは、浄土往生したならば今度は自分が仏となってこの世に戻り、迷える人々を浄土に往生させることをいうのである。浄土真宗の回向は、『他力回向』として成り立っている。一般的宗教は、われわれ「人間」の方から神や仏に向って、祈り・願い・救いを求める。そこに神や仏の救いが説かれてはいても、それはわれわれ人間の信仰や修行や努力が「条件」になっており、その上での神仏の力による救いとなっている。しかし親鸞聖人は、『もしは因、もしは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまへるところにあらざることあることなし「教行信証」』と著している。即ちわれわれが救われて仏陀と成るのに必要な因(行・信)も果(証)もすべては仏の方から回向されると説いているのである。回向の主体は、『私』ではなく『阿弥陀如来』なのである。

 私は、東京国際仏教塾に入塾して最初に『生かされている私』に気がついた。それは私を取巻くあらゆる衆生との関係の因によって、『生かされている私』が果として存在しているということであった。その後専門課程で曹洞宗と浄土真宗を学ぶ中で仏教の森の中を彷徨っていたのであるが、いま『ここにでたのか!』と感じている。それは『生かされている私』なのである。『生かされている私』に始まって『生かされている私』にぐるっと廻って来たのである。しかし始まりの『生かされている私』と廻ってきた『生かされている私』が違うのを感じる。最初の『生かされている私』は、私以外の衆生に対する慈しみであった。しかし今回の『生かされている私』は、私自身の生きる面白さ・楽しさそして勇気として感じるのである。もしかするとこれが浄土真宗でいう『信心』なのかもしれない。合掌

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