その他

もう一つのロヒンギャ

日付:2019年2月10日

 ―不安の中を生きるバングラデシュ仏教徒―

編集人 峯島

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バングラデシュ仏教僧 右ギャナラトナ師・ラキャット師
 私事になるが、約二十年前、インドを旅行した時、デリーの有名な観光地であるヒンドゥー教寺院、ラクシュミー・ナラーヤン寺院の隣にあるスリランカ系の仏教寺院に泊めてもらったことがある。そこに東洋系の顔立ちの少年僧がいたので、どこの出身かを尋ねたらバングラデシュと答えてくれた。チャクマ族とのことで初めてバングラデシュにも仏教徒のいることを知ったのだった。

 バングラデシュは人口の約九割がイスラム教徒だが、隣国ミャンマーと接する東部地域には仏教徒がいる。バルア(ベンガル人)、ラカイン族、チッタゴン丘陵地帯に居住するチャクマ族、マルマ族などであり、上座部仏教を信仰している。

 チッタゴン丘陵地帯には十数の少数民族がおり、一九四七年のインド・パキスタンの分離独立に際して、少数民族の意見が尊重されることなく、彼らの居住地域は東パキスタン領内に組み入れられることとなった。その後、パキスタン政府の入植政策により同地へのベンガル人の移住が進み、またダム建設などの開発政策により、原住民の耕作地が失われることによって彼らと中央政府との関係が悪化した。一九七一年のバングラデシュ独立後、先住民族は独立運動を開始し、バングラデシュ政府軍との間で紛争状態となると多くの人がインドなどに流出した。少年僧の家族はインドの北東辺境州に住んでいるとのことであった。当時は事情を全く知らなかったので詳しくは聞かなかったが、彼らがインドへ来たのもこの事と関係があるのかもしれない。

 ちなみにチッタゴンには日本人僧・渡辺天城師が一九七六年に設立したマハムニ母子寮があり、仏教徒少数民族の孤児や母子家庭児を受け入れてきた。チッタゴン大学には日本に留学して博士号を取って教鞭をとる仏教僧もいる。

 世界各地では戦闘や迫害から逃れるため、難民の流出が絶えず起こっており、最近、注目を集める難民問題の一つはロヒンギャ問題であろう。ロヒンギャとは何か定義するのは難しいが、大雑把にいってミャンマー西部ラカイン州に在住するイスラム教徒のことである。

 彼らは同州内部の民族間対立、軍事的な圧力をうけて、一九七〇年代や九〇年代からバングラデシュなどに流出。新天地を求めても周辺国からは入国を拒否されたり、人身売買が行われたりする問題が生じている。現在もミャンマー政府はロヒンギャを国民とはみなさず、彼らは不法滞在者の位置づけであり、移動の自由は認められず、就学、就職も制限されている。ミャンマー軍と武装勢力との対立関係が続き、現地に残る人々に対する襲撃や虐殺も報告されている。解決の見通しが立たず、有効な手立ての取れないスー・チー女史の国際的評価を下げる結果となっている。

195-16-2.jpg ロヒンギャ問題には様々な要因が絡んでいるようだが、さかのぼること一九世紀、コンバウン朝ビルマが三次にわたるイギリス軍との戦争に敗北してビルマが英領インドに編入され、現在のラカイン州の農地が収容されてベンガル地方からのムスリム労働移民にあてがわれ、現地の土地所有者の反発を招いたことが一因とされる。
 また、第二次世界大戦中、日本側はビルマ族や失地回復を目指すラカイン族を味方につけ、イギリス側もイスラム系住民を武装化し日本軍との戦闘に利用しようとした。こうして仏教徒・イスラム教徒の対立の構図が成り立ち、一九四八年にビルマがイギリスから独立しても内戦状況が続く中で両者の対立は深まった。また、東パキスタンの食糧不足に苦しむベンガル人ムスリムの流入がそれに拍車をかけた。

 ミャンマー(旧ビルマ)ではビルマ族が人口の多数を占めるものの多くの少数民族がおり、独立後のビルマでは当初イスラム教徒に対する保護も行われていたようだが、六二年のクーデターにより軍政に移管してからは、仏教徒であるラカイン族懐柔のためロヒンギャへの差別を容認していたといわれる。

 二〇一一年には民政移管するものの、翌年にラカイン州で仏教徒女性が強姦殺害されたことをきっかけに国内で仏教徒とイスラム教徒の対立が進んだことが問題解決を困難なものとした。

 両者の対立を煽っているとされる一人が仏教僧のウィラトゥ師である。師は異宗教間(特にイスラム教を念頭に)婚姻を制限する法律の制定などを訴え、九六九運動の中心にある人物である。九六九とは仏の九徳、法の六徳、僧の九徳を意味し、イスラム教徒が聖典クルアーンから七八六という数を重んじるのに対して、九六九を仏教徒のシンボルとし、印をつけることで仏教徒の店とわかるようにしてムスリム商店不買運動を推進している。これらの動きはイスラム教徒の反発を招いている。

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  タイム誌の表紙(2013年7月1日号)
 二〇一三年タイム誌七月一日号は彼を「仏教テロの顔」という見出しとともに表紙に飾り、ミャンマーと西側社会の溝を浮き彫りにした。仏教界の指導部(サンガ・マハ・ナヤカ)からはウィラトゥ師に説法を禁止するなどの抑え込みが図られたが、今なお影響力をもち、ヘイトスピーチに煽られた仏教徒がイスラム教徒を襲撃する事態も生じている。

 以上ふりかえると、植民地や戦争を経たミャンマーにおいて潜在的に存在していた民族間対立が、軍政からの民政移管によって顕在化したといえるだろう。

 ミャンマーでの迫害は波紋を広げ、周辺地域にもテロの危険性が増す結果となる。二〇一三年七月に起こった釈尊成道の地、ブッダガヤでの爆弾テロ事件では当初、ミャンマーでのイスラム教徒迫害に対して起こされたのではないかとの見方がなされたほどだ(注1)。

 話をバングラデシュに戻すと、現在、同国は縫製産業にけん引されて経済成長の只中にいる。その一方で、イスラム保守層からは政府への圧力が強まり、彼らの意向に沿った政策も採られている。二〇一二年九月には、とある仏教徒のフェイスブックにイスラム教の聖典クルアーンを侮辱する投稿があったとのことで仏教徒の家屋や寺院が焼打ちにあい(注2)、二〇一六年五月には南東部で仏教僧の殺害事件も起きている(注3)。このように不安定な情勢が続く中で、現地の仏教徒は長期化するロヒンギャ問題の影響が自分たちに及んでくることを恐れている。

 現代の日本人には他人事に見えるが、植民地化や戦争の歴史が東南、南アジアの地に今なお影を落としている。これらの地に安寧が戻り、人々が平和に過ごせる日が戻ってくることを願って止まない。


(注1)インド政府国家調査局(NIA)は同年十一月に、インドのイスラム過激派組織、インディアン・ムジャヒディーンによる犯行と発表。
(注2)BBC news, 30 September, 2012,"Bangladesh rampage over Facebook Koran image". (http://ww.bbc.com/news/world-asia-19780692)
(注3)The New York Times, 14 May, 2016, "Buddhist monk is slaughtered at temple in Bangladesh". (http://www.nytimes.com/2016/05/15/world/buddhist-monk-is-slaughtered-at-temple-in-bangladesh.html)

《参考文献》
ジュマ・ネット・ホームページ
http://www.jummanet.org
根本敬「ロヒンギャ問題はなぜ解決が難しいのか」シノドス 二〇一五年十一月六日
http://synodos.jp/international/15523
西澤卓美『仏教先進国ミャンマーのマインドフルネス』サンガ二〇一四年

カテゴリー:その他

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