卒業生は今!!

卒業生は今!! 八十三歳 寿 行脚結願の栞

日付:2019年4月10日

第八期 日小田 玄正

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  フランス人マックさんと筆者(右)
 東京国際仏教塾を修了して以来、悲願であった四国八十八か所霊場第三十三番「雪蹊寺」への巡拝が叶ったのは、平成三十年三月十四日のことでした。

 臨済宗の僧侶にとって雪蹊寺は、山本玄峰老大師の霊跡であるからです。

 山本玄峰老大師は、十九歳の折全盲に近い眼疾を患いました。病気平癒を発願し四国八十八か所の礼所巡拝に出立しました。明治の頃故裸足行道(はだしまいり)を繰り返すこと実に七回に及ぶも、験いまだ現れず二十四歳のとき第三十三番雪蹊寺の門前で行倒れとなりました。

 当時の住職であった大玄和尚に助けられた縁で出家することとなる。その時、師と弟子の間に次のような問答があったと伝えられています。

弟子「お坊さんになりとうございます」
和尚「お前はそういう人間だろう」
弟子「しかし、私は目が見えません。それに字も識りません。お経も読めません。こんな人間でもお坊さんになれるでしょうか」
和尚「普通の坊さんにはなれんが、覚悟次第では、本当の坊さんになれる」 と。

 大玄和尚の訓導によって山本姓を名乗り、山本玄峰となりました。

 長い長い年月に研鑽と努力を重ねた結果、昭和二十三年、八十三歳で妙心寺派の管長に推挙されました。その後昭和三十六年六月、三島龍沢寺で遷化されました。

 「心眼をこそ開け」と悟した師と弟子の二人の胸像に合掌礼拝して、私は次の札所へと急いだ。

 修行の道場土佐の霊場を打ち、菩提の道場伊予を打ち終えたのが四月六日でした。最高峰の雲辺寺を打ち終え、涅槃の道場讃岐へと進む。第八十七番長尾寺を打って前山ダムの辺り、へんろサロンでへんろ大使証をいただいて表に出たら、フランス人のマックさん親子が追い付いて来た。「玄正さん 写真を撮りましょうよ」と言われて撮ったこの写真が、五十日間、千二百キロ歩いた唯一の自分の写真です。大窪寺八十八番で結願の書をいただいた。明日は高野山へ向かう。 合掌

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