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東京国際仏教塾創立30周年記念特別企画(後編)

日付:2019年10月10日

〝ブッダロード・お釈迦さまの生涯と生きたインド仏教発見の旅!!〟の記


六日目〈一月二十六日(土)〉
クシナガラ
涅槃堂、荼毘塚、釈尊最後の説法地

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  涅槃堂に安置された穏やかなお顔のお釈迦さま
 クシナガラは釈尊涅槃の聖地。ここで侍者アーナンダに看取られて沙羅双樹の間に横たわられ、静かに入滅されたという。午前中、まずは涅槃堂へ赴く。裸足になり、各国の僧侶や巡礼者が瞑想あるいは静かに読経している中、総勢二十五人の我々が堂内に入る。早速、静寂を破るかのごとく、全員で『般若心経』の法楽を捧げる。シーンとしていた堂内に、いきなり大声での読経で気が引けたが、事前にガイド氏から「大きな声で読経してください。一向に構いません」と言われていたので心置きなく称える。次いで宗派毎に分かれ、各派のお経を称える。読経、お唱題、お念仏、真言、偈文等々賑やかな声が響いた。これを機に遠慮がちだった他国の参拝者の読経も大きくなり、堂内が一層荘厳になった気がする。読経後は、六メートルもの巨大な涅槃像の周りを合掌しつつゆっくり廻り、「右の脇を下に、頭は北を向かれた」そのお姿に触れ、思わず五体投地礼拝する者もいた。

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クシナガラの涅槃堂を背にして  
 バイシャリで三か月後の入滅を予言した釈尊は、クシナガラの手前のパーヴァーで鍛冶工人チュンダが振る舞った最後の供養となる食事(茸とも豚肉とも)にあたって入滅された話は、誰一人知らない人はいないのではないだろうか。しかし何故腐っていると分かっていて食されたのか、布施された物はすべて頂くとはいうものの、疑問を感ずる。釈尊の大きなお心は凡夫の我々には知る由もないことなのか...。  涅槃堂からほど近い荼毘塚は、釈尊のご遺体を荼毘に付したところであり、直径四十五メートルもあるストゥーパ跡が残されている。また近くには釈尊が最後に外道スハダラに説法されたという「最後の説法地跡」もあり、釈尊の「降魔成道像」が安置されている。

 いよいよこの旅も終盤を迎える。クシナガラを立ち、生誕の地・ネパール領ルンビニへと向かう。国境のインド側検問所で、出国のため各自、パスポートを提示。顔照合も簡単で、係官は形式的?に書類を見るだけで三十分程で全員が無事通過する。次は入国審査のネパール側検問所に入る。軍人三名が銃を構えて物々しくバスに乗り込み、鋭い眼差しで一人ひとりをチェックする時には、さすがに緊張する。

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  釈尊のご遺体を荼毘に付した荼毘塚
 ネパール入国に際し、ネパール時間に合わせ、時計の針を十五分進める。

 宿泊は、日本人が経営する「ホテルカサイ」。支配人も大企業を定年退社したらしい日本人で、現地スタッフのリーダーとしてご活躍の様子。気さくに話ができ、ホテルの雰囲気も日本風でなんとなくホッとする。最寄りのゴータムブッダ空港が近い将来国際空港化するというので客室棟を増築していた。 ルンビニ:「ホテルカサイ」泊



七日目〈一月二十七日(日)〉
ルンビニ
マヤ堂、アショカ王柱、産湯の池

 いよいよ釈尊生誕の地、ルンビニは唯一ネパールにある釈尊の聖地で、ブダガヤと並んで世界文化遺産となっている。この聖地は建築家丹下健三氏のマスター・プランにより日本の団体等によって整備されていることを初めて知った。

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  佐野先生を囲んで夜のひととき!
 黄金の釈迦生誕像の脇を通って広々とした西洋庭園風の道を進むと正面に白亜のマヤ堂。アショカ王が釈尊のお生まれになった地であると定めたマーカーストーンをガラス越しに見ることが出来る。その周囲には釈尊の産湯の池や、紀元前三世紀に建立されたアショカ王柱も。釈迦国の王妃・マーヤ妃がお産のために故郷のデーバタハ城へ向かう途中、花園のルンビニ園で休息され、無憂樹の花に手を差し伸べられたその時、マーヤ妃の右の脇腹から王子がお生まれになった。ご誕生の直後、七歩歩まれ〝天上天下唯我独尊〟と天と地とを指された話、アシタ仙人が将来を占い、この子は類まれな立派な王様または僧侶になるであろうと予言された話はつとに有名である。

 アショカ王柱は、柱頭の部分が欠けていたが、蓮座の部分が風化しているものの王柱の横に置かれており、往時の豪壮さを垣間見ることができる。聖地であるルンビニ村は、仏陀釈迦牟尼のご誕生の地であるゆえに、租税を減免され生産物の八分の一のみでよい、と石柱に刻まれているそうだ。

 ホテルで休息後、ゴータムブッダ空港からブッダエア機で首都・カトマンズへ。インド仏教の旅を無事に終え、いよいよネパール仏教の聖地巡礼です。 カトマンズ:「シャングリラホテル」泊



八日目〈一月二十八日(月)〉
カトマンズ
エベレストマウンテンフライト、旧王宮、生き神寺院

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天上天下唯我独尊  
 今日は予定を一日繰り上げ、急遽ヒマラヤ山脈を空から遊覧するマウンテンフライトとなる。まだ薄暗いが星空が美しい晴天の中、ホテルを出発。早朝の試験フライトの結果により飛行可否が判断されるため、空港で待機。待合室で隣り合わせたカナダ人は前の二回が悪天候で飛ばず、三回目の今日ようやくエベレストの眺望を楽しめると喜んでいた。それほど天候条件が厳しい中で、一回のトライでエベレスト遊覧飛行ができた我々はラッキーそのもの。これも仏の導きか! 幸運に感謝する。

 プロペラのブッダエアー機に搭乗し、約六十分の空の旅。全員窓際席で峻厳な連峰を心行くまで楽しむことができた。雪と氷に覆われたエベレストが間近になると、乗客(といってもほとんど我々のメンバー)を順番にコックピットに招き入れてくれ、真ん前の雄大なエベレスト(ネパール名・サガルマータ)を目の当たりにした。美人客室乗務員が傍に来て懸命に連峰の山々の名前を説明してくれるのだが、言葉が通じず何とも歯がゆい思い...。八千メートル峰は、エベレストを含めて世界に十二座しかないそうだが、そのうち八座がネパールヒマラヤ高峰群に連なっているとのこと。ヒマラヤのヒマは雪、ラヤは家。一年中雪が降るので「雪の家」というそうだ。日本の美しい富士山を想いつつ、貴重な体験に皆が感動! 

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  機中からヒマラヤ高峰群の絶景を!
 下山(?)後は、いよいよカトマンズのネパール仏教聖地へ。ガイドは現地のネパール人に交代。ガイド氏曰く、カトマンズは塵埃激しくマスクは必需品、またスリが多いのでくれぐれも注意すること。インドと同じく生水は飲まないことなど諸注意を受ける。カトマンズは標高千三百メートルの高地にあり六十五%が山々。そのせいか、街も坂道が圧倒的に多い。

 二〇一五年のネパール大地震の傷跡が残り、懸命の復旧作業が続いている。ここでネパール仏教について。イスラム教やヒンズー教の圧迫から逃れたインドの仏教徒のうち、ヒマラヤを超えて逃げた人たちがチベット仏教、麓に留まった人たちがネパール仏教。いうなればネパール仏教は生き残ったインド仏教、最後のインド仏教といわれる。

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今なお残る「生き神(少女神)」クマリの館  
 名所はダルバール広場、クマリの家、旧王宮・ハヌマン・ドカなど。中でも強く印象に残ったのが、クマリと呼ばれる生き女神(少女神)さまの館である。この生き女神さまは、四~五歳の釈迦族の少女から選抜され、初潮を迎えるまで平均十一年間、親元を離れクマリの館で過ごす。生き神ゆえ、当然国民から尊敬される立場なのだが、それゆえに任務を終えて館を離れて、普通の生活に戻った後でも恐れ多いと敬遠され、結婚も難しいという。今では親も希望せず、クマリのなり手が少ないというが、なんとなく頷ける。

 クマリの館は、木造で繊細な彫刻がビッシリとあり、荘厳な重厚感に溢れる。三階に出窓があり、一日に数回、我々観光客のためにお出ましになる。まだあどけない少女と見受けたが、さすが選ばれただけのことはある、堂々と下の広場に向かって、見上げる我々を睥睨?するが如く、ゆっくりと見回している。思わず皇居の参賀風景を想い出す。ちなみに、「クマリ」とは小さな女の子、「クマル」とは小さな男の子のことだそうな。

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聖水を注ぐヒンズー教式井戸と24金蛇口  
 ネパールは二~三世紀頃から人間が住みはじめ、盆地部分にネパール、その周りの二十四の小国とともに成り立っていたが、一七六九年にネパールに統一、王制が敷かれた。その王制も親族間の争いが絶えず、ついに二〇一一年に悲劇の歴史とともに二百四十年続いた王制の幕を閉じ、大統領制に移行したとのこと。その面影を偲びつつ、旧王宮や歴代の王の肖像画を鑑賞したが、栄枯盛衰、諸行無常、一抹の寂寥感に苛まれた。

 この日の夕食は、旅の打ち上げ慰労会を兼ねてホテル外で「ミニ宴会」。飲み物は普通は銘々が注文するのだが、ここでは自家製焼酎のサービス付き。民族衣装のボーイさんが、一メートル以上の高さからポットを巧みに操って座卓上のお猪口ほどの小さな盃に注いでゆく。まさに神業! 思わず拍手する。宴たけなわになると民族舞踊・楽団が登場。バイオリンに似た民族楽器が奏でる音色に合わせ、若い男女が胡旋舞のようにクルクルと舞う。誘われて我々も踊りの輪に加わり安来節?阿波踊り?の如き奇妙な動きで、今までの疲れを吹き飛ばす。
カトマンズ:「シャングリラホテル」泊



九日目〈一月二十九日(火)〉
カトマンズ
古都パタン、ゴールデンテンプル、ボダナート

 カトマンズ市の旧市で釈尊が滞在したとされ、三世紀に遺跡が発見された仏教都市・古都パタンを見学。九十%が仏教徒であり釈迦族という。宮殿などの世界文化遺産は五世紀のままであり、美術の街という。聖水を注ぐヒンズー教式井戸や二十四金蛇口などもあり、瞑想の場所でもあったらしい。またあちこちに破壊と創造を象徴するシバ神像が見られる。お守りとしてシバ神像を運転席やボンネットに飾るバスやトラックが多い。

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  司四方を見渡すブッダの智慧の目
 次に訪れた九百年前建立のゴールデンテンプルは、学びの場としての僧院となっている。字の如く、ネパールの金閣寺と呼ばれる金箔の建物である。ここは神聖な場所とされ、坊さんも一か月毎に交代するというが、一切坊さんの体に触れてはならないとのこと。またその一か月間は、同じ衣体のままであり、体は特別な水で清めるらしい。『般若経』を一日三回唱える勤行が日課となっているとのこと。また近くには、マハ仏陀寺院があり、ブダガヤと同じものを三世代かけて造った釈迦仏九千九百九十九の像が、壁にビッシリと彫り込められていて、見応えがあった。最後に訪れたのはチベット仏教の中心、巨大仏塔・ボダナート。高さ三十六メートルの塔全体が地水火風空の五大エネルギーを表し、四方を見渡すブッダの智慧の目が強く脳裏に焼き付く。

 この旅も終わりに近づく。国際線にてカトマンズを立ち、空路デリーへ。乗り継ぎの間、デリー空港でそれぞれがウィンドーショッピングを楽しみ、使い残したインドルピーの消化を兼ねてたくさんの土産物を買い漁っていたようだ。
 午後九時十五分、デリー発。エアーインディア機で一路帰国の途に就く。
「機中」泊

 インド、ネパールを通じ、ホテル内の枕銭、荷物運搬はもちろん、空港のトイレ、バス旅行中のトイレ、食事処などあらゆるところでチップが必要となる。チップの習慣に馴染みのない我々は、払わなかったり、多く支払ったり、とにかく面食らうことが多かった。



十日目 成田空港着
 午前八時、定刻に成田空港に到着。顔認証システムで入国・通関手続きを済ませ、解散式。全員無事の帰国に安堵しつつ、家路を急ぐ。皆さんお疲れ様でした。再会を期して〝ナマステ!!〟


(文責 事務局 洞口)

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