「あの世」に喜びを見よう(第25期スクーリング特別講義)

一、東日本大震災で患者を避難させて津波にのまれた、看護師であるお母さんのことを、若いお医者さんが、三月の月末ごろ、新聞に投書しました。
「母は看護師として、最後まで人のためを思って死んだ。だから私は医者として、将来、あの世で再会したときに、恥ずかしくないように生きなければならない」。ここに、あの世というのは、はっきりしてくるんです。お母さんは、人のことを考えて、人のために死んだのですね。この人にとっての、お母さんにとってのあの世というのは、患者たちを助けたい、そういう思いのあの世ですね。そうすると、あの世というのは非常にはっきりしてくる。
二、キャンディーズのスーちゃんこと田中好子さんが亡くなりました。そのメッセージもすごいです。田中好子さんがいったのが、「津波で亡くなった人たちのことを思うと肝がつぶれそうだ。私はもう頑張りきれないかもしれない(乳癌二十年)。だから私は、天国で復活して、(天国で復活というのはキリスト教の言葉なんですけど)津波の人たちを支えたい」と。ここも田中好子さんのあの世というのは、非常にはっきりしてるんです。つまり、人さまを助ける。そういうあの世ですね。
こういうふうに見て参りますと、「あの世」というのは、今まで難しくばかり考えてたけれども、実は案外単純なことだと見えてくるわけです。イギリス人で、確かゴーラーさんだったと思うんですけど、『死と悲しみの社会学』という、350人の遺族を調査した報告書があります。その中に、あの世に関することを聞いてるのです。
社長が亡くなって、社長夫人にインタビューしてるんです。「あなたのご主人は亡くなってどこへ行きましたか」「天国に行きました」。「天国ってどういうところですか」そうすると、社長夫人が、「知りません。天国はどういうところか知りません。だけど、天国というだけで十分です」。これを読んで、私はショックを受けたんです。天国ってどういうところか、人間が説明したら、それは人間の物差しでしょう。天国は、私には分かりません。私の物差しでは分かりません。ただ、天国というだけで十分です。つまり、人間の物差しを超えた、神の世界へ行った。この論理はすごいですよ。日本人にはこういう考え方、なかなかできないと思いますね。そういうように、天国の問題、「あの世」の問題って調べていくと、重要な問題が見えてくるわけです。
三、最近、スピリチュアル・ブームで、そういう人たちがいってるのは、天国とかあの世というのは、儀礼を介在し、儀礼でだけいっているから、本人にはさっぱり分からん。本人が納得するあの世であるべきだ。本人に納得できる、本人が感じ取れる「あの世」であるべきだと。これはなかなか重要な問題です。
「おくりびと」という映画の原作は、青木新門という人の書いたものなのです。富山県の葬儀屋さんです。その青木新門さんが、全日本仏教会で講演して、「私は葬儀屋として、随分たくさん、坊さんたちのお説教を聞いてきた、お葬式に立ち会って。だけど、坊さんは、あの世に行く手続きばっかりしゃべって、あの世のことはしゃべらない。」見事な指摘ですよ。戒名がどうだとか、お布施がどうだとか、棺桶に入れるときには手甲脚絆でこうやってとか。手続きばっかりいって、肝心のお浄土というのはどういうところだってことは一言もいわない。

※上記は第25期のスクーリングの講義内容の冒頭を紹介したものです。
※さらに詳しい内容を知りたい方は、冊子「佛教文化」161号をご覧ください。