大乗仏教と曹洞宗(第25期スクーリング特別講義)

大乗仏教というのは、基本的にはどの宗派も同じですが、それを宗派ごとの教義にどう実現しているか、そういう意味で宗派の特徴というのは、基本構造は同じだと思っていいと思います。今回、私は大乗仏教と曹洞禅についてお話しいたします。
大乗も小乗も仏教ですから、それがどうして大乗仏教というような形でいわれるのか、スリランカやタイの方へ伝わったのとどう違うのか。微妙な違いなのですが、あらためて言われると、逆に仏教というものの特徴が見えてきます。
お釈迦様の教えについて、高崎直道先生の『仏教・インド思想事典』を基本にしてご紹介したいと思います。つまり原始仏教と言われている時代に、基本は縁起観ですけども、縁起というのは条件の集まり、条件が集まって存在になるという意味です。「起」は存在というふうに理解していただいたらいいです。存在というのは条件の集合である。これが、キリスト教やイスラム教と仏教がどう違うか、つまり仏教でいう絶対なるものは「理」なんです。縁起の理が絶対なんです。神ではないんですね。縁起の理というのはあらゆる存在に関していいますから、お釈迦様の言っているとおり、縁起なるものは無常である。「常」という字は変わらないということです。ですから、無常は変わるっていう意味です。それは、縁起というのは条件が集まってますから、仮和合と言います。無常というのは、時々刻々変わりながら、そのときの形で存在しているから、仮の和合ということです。人は死ぬっていうときに、無常だねと言いますが、同じ状態ではあり得ない。ですから縁起無常、それは無我であるとお釈迦様は言っているわけです。

※上記は第25期のスクーリングの講義内容の冒頭を紹介したものです。
※詳しい内容を知りたい方は、冊子「佛教文化」000号をご覧ください。