妙厳寺の八重桜

第32期生 S.I.

庭の八重桜はまだ見事な花を残していた。
作務の前の僅かな時間、私はその気品あるピンクの花々を愛でながら、開講式で野坂住職がおっしゃった「季節が来れば花が咲く。そんな当たり前のことさえ、人の力ではできないのだ」という言葉を反芻していた。
ふと見ると、その八重桜の幹には苔がびっしりと張り付いている。
『八重桜の幹が苔を生かしているのだ』
そう思うと、自ら生きながら他を生かすという『利他』をこんな一本の樹ですらしているのだという感慨が胸にこみ上げた。
もう一度花を観賞しようと目を上げた私の視界に、今度は大きな蜘蛛の巣が飛び込んできた。美しい花を連ねた枝の間に張られたその巣には、おどろおどろしい蜘蛛と巣にからめとられた何匹かの羽虫の死骸が揺れていた。
美しい花を台無しにする光景だと思った。
しかし、ふと全く別の感慨が湧き起こった。
蜘蛛は自らが生きるため、当たり前にここに巣を張り、生きるために必要十分な虫の命を糧にしているのだ。そこにあるのは美醜を超えた生命の必然性のみだ、と……。
八重桜の樹は、蜘蛛に生きる場を与え、羽虫は命を捨てることで蜘蛛を生かしている。
この一本の古木の中だけでも、生と死が残酷と言ってもいいほどのつながりを持ち、樹はまるでそれを贖うかのように美しい花を咲かせている。
「ああ、ここにも生命の小宇宙があるんだなあ。これが命の連鎖ってことなんだろうな」
何か大切なことを少し気づかせていただいた気がした瞬間、ふと空気の流れが止んで、甘い花の香り(桜餅の葉のような)が私の全身を包んだ。
不思議な瞬間だった。ほんの一瞬のことだったが、八重桜にご褒美をもらった気がした。
さて、私はこれからどう生きていくべきなのか。誰かのために何かができるのか、できないのか……正直言って今回の修行では迷いが深まるばかりでした。
ただ、八重桜の樹に教えてもらったことは、これからの私にとって、何かの助けになる気がします。合掌