なぜ仏壇はキンキラキン?

「ご先祖がお戻りになった時、最上級のおもてなしをしたいという気持ちの表れが、金色も艶やかな仏壇になったといわれます」と、江戸時代中期から続く三河仏壇の技術を継承する、愛知県額田郡・都築仏壇の都築数明さん。

都築仏壇がある場所は三河と呼ばれる地域。住民の半数以上が浄土真宗の門徒です。浄土真宗三部経のひとつ、阿弥陀経に描かれているように、ご先祖はお釈迦様が語られた極楽浄土にいらっしゃる。そんな素晴らしい場所からお盆やお正月に戻られるのだから、極上のお迎えをすべき!という流れになるそうです。

もともと仏壇は仏様がおわすところであって、お位牌を置く場所ではありません。誕生は白鳳14(665)年といわれていますが、これは、天武天皇が貴族階級に向けて発した「諸国の家毎に仏舎をつくり〜」の紹書から。法隆寺にある玉虫厨子が、その代表です。一部の庶民が仏壇を家に置くようになったのは室町時代とも江戸時代とも。江戸時代にはお位牌も仏壇に収められるようになりました。理由は定かではありませんが、先祖信仰と檀家制度が結びついた影響ではないかといわれています。

そのひとつが三河仏壇です。当時の照明は和蝋燭。蝋燭の光で見るとかなり暗く、黒っぽく見えます。かなりモダンに映ったはずです。当時の人はそれを「粋」と捉えていました。そこに三河らしい見栄、「隣の家より豪華に」「あちらの家より」と、どんどんとゴージャスな様相へと進化していったそうです。

今は仏間も床の間がないマンションスタイルが多く、絶命危惧ともなっているキンキラキンの仏壇。歴史をひも解いていくと愛着が湧いてきませんか?

取材協力/都築仏壇店 愛知県額田郡幸田町大字大草字瓶割15-1 TEL:0564・62・6111

#東京国際仏教塾 #仏壇 #先祖信仰 #檀家制度

都築仏壇店制作の三河仏壇

ウルトラマン木魚も都築仏壇店の作