ひとりを考える②

新型インフルエンザの自粛中は、どうお過ごしでしたか?
家好きを自認する人でも、「#STAY HOME」と言われてしまうと、今度は窮屈に感じてしまう、そんな矛盾が湧いてきたのではないでしょうか。ゲーム『あつまれ どうぶつの森』、Amazonプライム、Netflixと際限がない。どこまで怠惰になれるか試されていたようでした。思い立ち、トライしました『無量寿経』に!
『無量寿経』(サンスクリット原典/スカーヴァティー・ヴィユーハ・意味は極楽の荘厳)は、北西インドで編まれたといわれています。構成は巻上と巻下。漢訳は252年ごろ、中国の河南省(洛陽)の白馬寺にて、康僧鎧が行ったとされるものを用いられることが多いとか。現代語に訳されたものもあります。
なにもしない、出来ないと精神的にせっぱ詰まらない限り、お経を読もうとする気力など起きません。志しは高々に掲げながらも、巻上で幾度となく頓挫。大事な内容が書かれているにも関わらず、うちふし、投げ出し、遅々として進まず。惨憺たる有り様でした。
ところが、巻下!こちらになると、めちゃくちゃ面白いのです。人間らしさが満載。「そうだよね!」「そうだよね!」と、何度となくうなずいていました。
肯定だけではありません。お尻がむずがゆくなる言葉や胸にグサっとくる言葉が山盛りです。この経が書かれた時代と現代、これだけの時間を経ても、人間は進歩がないのか? それとも人間とは所詮、こういう思考の生き物なのか?と考えさせられました。
この経の中で心をつかまれた言葉が「独生独死 独去独来」です。タイトルの「ひとりを考える」と重なっているように思えたのです。この解釈をどう受けとるかは、人それぞれでしょう。ただ、この覚悟があれば、「ひとり」は「孤独」と違って見えるかもしれないな、と。
皆さんなら、どう捉えますか?

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