こころの時代③―道を求める姿勢―

東京大学名誉教授であり、東京国際仏教塾の第1期から13年間にわたり、講師をお引き受けいただいた鎌田茂雄先生。1996(平成8)年、東京国際仏教塾のスクーリングでの講演を引き続きお届けします。今回は連載第3回目です。

《一遍上人の念仏》

一遍上人の念仏は凄いと思います。
『念仏の行者は知恵をも愚痴をも捨てて』と。
知恵はいけないんです。差し障りがあります。また人間は幾つになっても愚痴を零します。
それを捨てましょう。そして、
『善悪の境界を捨てて』
これが善いとか悪いとかというのはまだまだ救われません。
『貴賤高下の道理をも捨てて』
身分の高低には一切関係なく、
『地獄を虞れる心を捨てて』と。
もっと、凄いのですよ、
『極楽を願う心をも捨てて』
生まれ変わって極楽に入りたいというような心も捨てて。
さらにいうのです。
『諸宗の悟りをも捨てて』
悟りを求めたいとか、悟りたいとか云うようなものは皆捨てましょう。
『一切のことを捨てて申す念仏こそ、彌陀超世の本願にもっとも叶え候え』と。こういってるのです。

《修行者へのいましめ》

私達は捨て切れません。なんにも捨て切れないです。後生大事に後生大事に持って生きております。
しかし、少なくとも70を越えたら周わりのものを捨てた方がいいのです。
沢山持っていても棺桶の中に入れられません。
遺産分割にしても、良い着物を着ていたおばあちゃんの物だったら、昔はみんなに分けて喜んでもらえたものです。しかし、今は「良い着物だ」などといっても、「そんなの要らないわ」なんて若い人なら言うでしょう。人間というものは、何も持たないというのが一番強いのです。
一遍上人さまは、「功徳も諸宗の悟りも捨てて、一切のことを捨てて申す念仏こそ、本当の阿弥陀さまの本願に叶うのだ」と、こういっているのです。
一遍上人さまが、自分の信者と、それから自分の後へついて来るお坊さんや尼僧の方々、そういう人達の為に、この心掛けを説いたのが「時宗制誡」なのです。
一遍さまの後には、ぞろぞろお坊さんもついて来ます。尼さんもついて来ます。一遍上人は亡くなる時に、絶対に後追いはいけない。殉死はいけないと堅く誡めたのです。けれども実際には、何人かの尼さんが入水自殺しておられるのです。
それだけ慕われた上人さまであったわけです。
それから踊り念仏をやっておりましたので、普通の方がたくさん後を追い、一緒に踊ったりしました。
「時宗制誡」は、そういう方々への心得だったのです。
初めの方は「仏教の修行を一所懸命しなくてはいけない」「お念仏を唱えなくてはいけない」と言っているのです。
-つづく-