こころの時代⑤―道を求める姿勢―
東京大学名誉教授であり、東京国際仏教塾の第1期から13年間にわたり、講師をお引き受けいただいた鎌田茂雄先生。1996(平成8)年、東京国際仏教塾のスクーリングでの講演内容を引き続きお届けします。今回は連載第5回目です。
前回まで
一遍上人は「愛執の心を起こしてはいけない」また「無常の道理を感じなさい」と言っておられますが、これは仏教の根本の教えです。
無常の道理を感ずる。そうすればいうところの貧欲という煩悩から離れることができると説くのです。
《他人の非を咎めない》
「自身の科を制して」とあります。人間は科を持たないようにしなければいけない。科を持つというのは間違いです。
それは出来るだけ制していかなければならない。自制して科の無いように生きていかなければならない。
けれど大切なのは、それと同時に
「他人の非を謗るなかれ」です。
彼奴はとんでもない奴だ。彼奴が悪いんだと、他人の非を言ってはいけない。簡単に言えば悪口を言うなということです。
しかし、「他人の非を謗るなかれ」と、簡単に言いますが、これがなかなかできないのです。
人間というのは、自分と他人を比較してものを考えますが、自分は、あくまでも自分なのです。自分の判断を基準にして考えますから、事や次第によっては衝突が起こるのです。
したがって、集団生活をする上でこの他人を咎めるな、他人の非を言うなということが非常に大事だと知らされます。
自分自身の過ちは、よく自分で注意しておさえていく、自分は過ちをしないようにする。他人が過ちをした時には、咎めてはいけない。
ところが、これがなかなか出来ないのです。常に反対の方向に走りがちです。つまり、他人の過ちはいつも指摘しますが、自分のことは平気だという方向です。
過ったことをするということは、誰でもそうでしょう。
自分では気がつかないのです。ですから、反対は誰でもやっているのです。みなさん全員がやっているといってもいいと思います。
「他人の非を謗ることなかれ」とは、そうした私共への警告をいっているのです。
これは一遍上人さまが、前に述べた如く、自分の後について来る人、自分の仲間の人、自分と一緒に仏の道を求める人、そのような人達への警告です。それが、この「時宗制誡」だと思います。
けれども、ふっと本を開いたら、なかなか出来ないことが書いてあるなあと思った訳です。
普通は、この反対は出来るのです。何でもそうかも知れません。
反対はよく出来ますが、この通りには、なかなか出来ない。だからこういうことを心掛けていなくてはいけないという気がした訳です。
-つづく-