こころの時代⑥―道を求める姿勢―

東京大学名誉教授であり、東京国際仏教塾の第1期から13年間にわたり、講師をお引き受けいただいた鎌田茂雄先生。1996(平成8)年、東京国際仏教塾のスクーリングでの講演内容を引き続きお届けします。今回は連載第6回目です。

《勘忍のこころ》
一遍上人語録の『時宗制誠』に
「柔和な顔を備えて、瞋恚の相を表すことなかれ」
とありますが、これはどんな人も皆んな説いています。皆さんが説いているから、この怒らないということは随分と大切なことだと思います。
この怒るという字は仏教では、“瞋”と難しい字を書きます。
怒るなということ。
例えば、あの徳川家康の遺訓を見てますと、勘忍ということを、本当に強調して説いています。
「勘忍は無事長久の基」と。
これはいい言葉だと思うのです。
そして、これを是非覚えて頂きたいのです。
「怒りは敵と思え」
非常に短い言葉ですが、大事な言葉ですから覚えて下さい。誰でも怒ることはしますが、怒りは敵、怒りは修行の敵、怒りは人生の敵であると思って頂きたいのです。
また、先程の一遍上人の「他人を責めてはいけない」ということを家康は家康なりにいっております。
「己を責めて、人を責めるな」と。
ふたりの言っていることは同じです。
一遍上人は宗教的な立場で、いろいろ教えを説いておられ、家康は家康なりに経験から常識的に述べているわけです。
常識的にとはいっても、これが普通の人にはなかなか実行出来ません。
「勘忍は無事長久の基」という言葉は簡単な言葉のようですが、これは家康の生涯そのものを表わしています。
家康は、小さい時、今川義元のもとに人質で行かれたでしょう。
人質と云うのは主家が謀叛を起こせば殺されてしまいます。それは大変な人生だと思います。
それで、やっと許され帰って来て、今川義元が亡くなったと思ったら、今度は織田家へ。織田信長に使われて、やれやれと思ったら、また豊臣秀吉です。
長い間の、こうした勘忍の結果、やっと最後に自分の天下になったといっていいでしょう。
ですから、「勘忍は無事長久の基」。
この一言、これで家康は天下を制覇したのだと思います。なかなか出来ません。カアッとしたら終わりですから。ああもう嫌だと思っても織田信長にも従ったのでしょう。仕様が無いことです。
「怒りは敵と思え。己を責めて人を責めるな」
この言葉が出てきた背景には、怒りがどれほど恐ろしいことか身をもって体験していたからに他なりません。
信長などは、この反対で他人を極端に責める。結果、最後は自分の部下に謀叛を起こされて寝首をかかれてしまうという結末です。
因果が報いると申しますか、そういうことになっていくのだろうと思います。
一遍上人のどこにもこの様なことが書いてあります。
私の好きな「百利口語」というものもよく読みますが、これはそういう本の名前というか、<一遍語録>そのものと思って頂いて結構だと思います。
その中に、「六道輪廻の間には伴う人もなかりけり、一人生まれて一人死す、生死の道こそ悲しけれ」
とあります。
これが、先の制誡では無常といっていることです。生死の道というのは、読んで字の如く生まれ死んでいく道です。
これを読んでいますと、成る程人間というのは、その物欲、貪欲が、どんなになっても消えないなということがわかります。
「人の形に成りたれど、世間の希望絶えずして」
とあります。
人間の形はしているのだけれど望み、希望、願望、欲望が絶えなくて「深甚苦悩することは」、つまり、のたうち廻って苦しむことは、「地獄を出たるかいぞ無き」。地獄を出た甲斐もなく、地獄に何時までも居るのと同じだというようなことを、ずうっと説いてあります。
そして無常のことについては、
「一度無常の風吹けば花の姿もチリ果てぬ」と。
確かにそうです。無常の風が吹けば花の姿も散ってしまう。
「父母と妻子を初めとし、財宝所持に到るまで、みんな無くなってしまう」ということを述べています。
そして、死ぬ時には、
「魂一人去らむとき、誰か冥途へ送るべき」と。
自分一人で死んでいく時に、誰が宝物や父母や妻子や、そういうものを冥途に一緒に送ってくれるんだろうかというように、いろいろと書いてあります。
これも、読めば皆さん分かりますので、何かの機会に一遍上人の語録を読んで頂ければと思います。
-つづく-