人の命は…
原始仏典を見てみますと、 熟した果実がいつも落ちる恐れがあるように、 生まれた人はいつでも死ぬ恐れがある、 と。 そうですね。 果実も熟してくるとポトン、 ポトンと順番に落ちていきます。 そして、 老いた人々も若い人々もそのまん中の人々も、 順次に去っていく。 というような言葉がたくさん並べてあるのです。
あるいは、 いくら財産を蓄えても、 最後には尽きてなくなってしまう。 高い地位や身分も遂には落ちてしまう。 生命は遂には死に至るということをいっているわけです。 しかし、 私たちは愚かですから、 私には子どもがいる、 私には財産があると思って、 愚かなものは悩む。 しかし、 既に自分が自分のものではない。 ましてどうして子どもが自分のものであろうか。 どうして財産が自分のものであろうか。 というようなことを経典は書き記しているわけです。
どれを読んでも本当のことなのです。 本当のことではあるけれども、 私たちは、 読んだときは、 あっそうかと思うけれども、 すぐ忘れるようにできている。 忘れないと楽しくないですからね。 朝から晩までこんなことを考えていたんじゃ憂うつになってしまう。 だから読んだときは、 あっそうかな、 と一瞬思って、 あとは忘れてしまう。 それで十分ですが、 まあ、 時にはそういうふうに書いてあることを、 そうかな、 というふうに思うのもいいんです。
たとえ100歳を生きたとしても、 遂には死に帰着する。 老いか病か、 または死がこの人に付き添って殺してしまう。 こういうことをいっているのです。 どれを読んでみても本当です。 歩んでいても、 とどまっていても、 人の命は昼夜に過ぎ去り、 とどまりはしない。 川の水流のようなものである。 というような言葉を仏典ではいっているわけです。
こちらは、東京国際仏教塾第12期開塾式の特別講演で鎌田茂雄先生にお話しいただいた内容を抜粋して紹介しています。
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