冷厳な事実認識

川の水流はとどまらないでしょう。 それと同じように、 死に向かって流れていくのである、 と。 そうすると、 仏教というのは随分厭世的だなと思うけれども、 別に厭世とか、 快楽主義とか、 そういうのではないのです。 冷厳にそのままの事実を「まず認めなさい」というのが仏教の立場で、 別に死が嫌だとか何とかいうんじゃないのです。 ですから恐ろしいことも書いています。 人が死んでも悲しんではいけない、 というようなことを書いているのです。
私たちは自分の子どもが死んだら狂いそうになるでしょう。 自分の連れ合いが死んだら本当に悲しいと思うでしょう。 しかし、 それは当たり前で、 思ってもいいんですが、 仏典は場合によっては、 人の死を悲しむなということを書いているのです。 そういうふうに理性では思っても、 涙がいくらでもあふれるのはかまわないのです。 しかし、 冷厳な事実というのは、 これは認めざるを得ないのだということなのです。 恐ろしいけれども、 そういう冷厳な事実を見ることによって、 かえって深い慈悲がわいてくるのです。

こちらは、東京国際仏教塾第12期開塾式の特別講演で鎌田茂雄先生にお話しいただいた内容を抜粋して紹介しています。
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