自分って、だれ?

今ごろですが、マイナンバーカードの申請をしました。「ついに!」とのリアクションが多く「やむなし!」と答えたものの、そのとき、ふと思いました。マイナンバーカードを見せれば、公的機関で「私だ!」と証明することは出来ます。では、私という存在を、このカードやパスポート、保険証、免許証などの公的証明証以外で考えると、どうすれば「私」は「私」と立証でき、認識されるのでしょう。
以前、アメリカのホテル内でパスポートの盗難に遭いました。在米日本大使館で「私」を証明するのに、本当に苦労以上の苦労がありました。ただでさえ心が折れているのに、と大使館の職員をガラス越しにらみつけた覚えがあります。
救いの手はあるもので、立ち合ってくれた在米(←これが必須でした)の日本人(←これも必須でした)友人が「この人は、私の友人であり、日本人です」と証明してくれたのです。つまり、その友人がいなければ、私が私であり、日本人であるということすら立証できなかったということ。
私を「私」と証明してくれたのは「友人」です。その友人も、また他の人から、その人であると証明されて、その存在が認識されます。こう考えていくと「私」の証明は無限に広がります。無限の連鎖です。
この考え方のベースが、仏教の「縁起」という自分感、存在感とつながりが出てきます。縁起について様々な説明が行われていますが、本や参考書を読めば読むほど、混乱してきて、放り投げる始末。ついには、これがなんの役に立つのか!でした。しかし、時間が経つと意味や存在意義、必要性がじんわりとわかってくると思います。
といいながらも、完璧に理解出来ていると胸を張れる状態ではまだまだありませんが。

#東京国際仏教塾 #仏教を学ぶ #自分の存在 #無限の連鎖 #縁起 #縁起の意味