宗教都市、吉崎御坊

高村光雲作の蓮如上人像

浄土真宗本願寺第八世蓮如上人の像がすっくと建つ小高い山があります。福井県おわら市の吉崎御坊跡です。
そもそもなぜ、ここに上人が滞在したのでしょう。それは延暦寺の弾圧を受け、京から逃れ、新たな布教活動の拠点として選んだからです(さらなる経緯は省略します)。
吉崎の北潟(きたかた)湖の入り江に突き出た半島、その高台、御山(おんやま)正式名称・千歳ヶ峯にある、高さ約7メートルの貴台の上に5メートルの蓮如上人像。作者は彫刻家・高村光雲。上野の西郷隆盛像を手がけた人です。この像には逸話があります。第2次世界大戦時に日本中の金属が集められた際、ご多分にもれず、この上人の像も回収の動きへ。しかし土木業者や陸軍兵が大挙して引っ張っても倒れず、やぐらを組んでも、けが人が出る始末。住民は「蓮如さん(地元での呼び方)は、人殺しの手伝いはしたくないはず」といい、手伝おうとはしません。結局、諦めざるをえなかったそうです。
この地に上人が滞在した期間は1471(文明3)年7月から1475(文明7)年8月のわずか4年1か月のこと。その間に上人を慕う門徒衆、宿泊施設、土産物屋などが集い、北陸の宗教都市となりました。現在は東西の本願寺別院があり、地元の門徒の方々にひっそりと守られています。毎年4月23日〜5月2日には蓮如上人御忌法要が行われ、かつてを連想させる賑わいになるとか。300年以上続く蓮如上人御影道中は、4月17日、京都・東本願寺(真宗本廟)から御影が琵琶湖の湖西回りで1週間かけ約240キロを下向。法要が終わった5月2日、今度は湖東回りで約280キロの道のりを上洛。京都着は5月9日。およそ50人からなる世話人がすべて徒歩で行います。このコロナ禍ではどうなるかわかりませんが、例年のように京都・東本願寺で「蓮如上人、おたぁーちー」の声が上がることを期待しましょう。

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蓮如上人銅像

吉崎御坊跡から見る北潟湖と鹿島の森。そして日本海。

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