三帰依文(さんきえもん)とは…

東京国際仏教塾 開講式の時に、第33期の入塾者とともに唱えた「三帰依文」について、改めて説明したいと思います。この読みは、古代中西部インドのアーリア系言語を代表するパーリ語です。
南無帰依仏(読み:ブッダン サラナン ガッチャーミ)
南無帰依法(読み:ダンマン サラナン ガッチャーミ)
南無帰依僧(読み:サンガン サラナン ガッチャーミ)
南無は、パーリ語の「ナマス」に漢字をあてはめたものです。意味は「お任せします」が、もっとも近いニュアンスかもしれません。インドなどに行かれた方は「ナマステー」と挨拶を交わされたと思いますが、テーは「あなたに対し」というような意味です。この使い方の場合は、日常用語。三帰依文の南無とは違い、もっと気楽なものです。
帰依とは、字のごとく、心から信じ、心のよりどころとすることを指しています。
最後に3つ並んだ「仏」「法」「僧」。
これは仏教の3つの宝といわれるものです。
「仏」は、目覚めたものの意味です。歴史上、最初に目覚めた=さとりをひらいた、お釈迦様(私たちが日ごろ呼ぶブッダ)を指しています。しかし宗派によっては、お釈迦様ひとりだけでなく、さとりをひらいた者すべてを「仏」と表現する場合もあります。
「法」は、仏が説いた教えを指します。この場合の「仏」は、上記のお釈迦様のこと。お釈迦様が説いた教えは当初、口伝でしたが、紀元前1世紀ごろに文字として残されるようになりました。それが経典です。
「僧」は、ひとりの僧を指しているのではありません。サンスクリット語のサンガ=僧俰(そうぎゃ)といい、「仏」の教えを学び伝える人の集まり、衆、または和合衆とも言われます。
約2500年、釈尊(お釈迦様)の弟子になる入門のときに、この「三帰依文」を唱えました。今も変わらず、この儀式が行われているということです。

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