発菩提心を慶ぶ
一、菩薩とは
(一) 菩薩とは誰か
大乗仏教徒を菩薩というわけですが、この菩薩とは、サンスクリット語のボーディ・サットヴァのこと。ボーディは菩提すなわち悟りの智慧です。サットヴァは衆生とか、命あるものです。ただ植物を除く、動物とか人間とか、そういう心あるものを有情といったわけです。その菩提と衆生という言葉が一緒になって菩薩という言葉になっているわけです。悟りの実現を求めていく人と受け止めればよいかと思います。
そういう菩提心を起こした者、その人が菩薩ということになります。菩薩というと、観音菩薩や普賢菩薩などすごく位の高い菩薩様のことかと思いがちですが、そうではなくて、大乗仏教では菩提心、大乗の悟りを実現したいという心を起こした人は誰でも菩薩であるとされています。発菩提心とは詳しく言いますと、発阿耨多羅三藐三菩提心です。阿耨多羅とは、アヌッタラというサンスクリット語の音写で、これ以上、上がないという意味です。三藐とは正しいということ、サンボーディとは完全な悟りという意味です。この上ない正しい完全なる悟り、それを実現しようとめざした人が、誰でも菩薩になるわけです。
『法華経』を見ますと、小乗仏教の修行者である声聞は四諦の法門を学んで、その悟りを得ます。縁覚は、十二縁起を観察して、その悟りを得ます。なお最後に悟りを開くときには一人で修行するということで、独覚とも言います。
では大乗菩薩はどういう修行をして何を得るのかというと、六波羅蜜を修するのです。それは布施から始まりますね。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧。この六波羅蜜を修行して、この上ない正しい完全なる悟り(阿耨多羅三藐三菩提=無上正等覚)を実現する、これが菩薩なのだ。そういうことが『法華経』では説かれています。
※上記は第33期開講記念に行われた竹村牧男先生の講演の冒頭部分です。
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