日本仏教史 ―神と仏教の関係を柱に考える―

日本の仏教を考えると、歴史学の視点からの仏教の見方が基本ですが、それだけだと案外見落とされていることもあります。そこで今回は、仏教の立場からとらえた日本の仏教史を見ていきたいと思います。
たとえば、神社とお寺はまったく別個なものである、とほとんどの日本人は思いこんでいます。ところが、歴史的に見ると、明治初年に神仏分離令ができて、そのときお寺と神社が政治的に分断されたということですから、お寺と神社が独立した宗教団体となったのは明治以降ということになります。そのことを念頭に置き、日本における神道・真言宗・天台宗・浄土宗・浄土真宗・日蓮宗などが日本において、それぞれどのような違いや共通性があるのかを含めて日本の仏教史について話を進めたいと思います。
仏教の歴史を見ますと、インドの仏教の流れは日本とだいぶ違います。例えばインドでは、皆さんご存じのように、最初はお釈迦様が悟りをお開きになって、声聞といわれる弟子たちが中心でした。彼らは釈尊の教えを間違いなく後世に伝えるために、経・律・論という三蔵を作り上げていきました。そのためどうしても声聞中心の僧院仏教と成らざるを得ません。そしてその数百年後に大乗仏教ができてきますね。大乗仏教は、それまでの僧院仏教を反省して、衆生救済の利他行を強く主張し仏教運動を展開しました。釈尊が四十五年間に亘り、現実世界においての行動を重要視しました。それが大乗仏教ですね。そうすると、大乗と声聞仏教はどこがどう違うのかというようなこと、それがまず問題となります。
すなわちお釈迦様にとって大事なことは、一つは悟りを獲得したということと、もう一つは45年もの間、衆生教化のために費やしたことです。その二つのことが大事です。特に大乗仏教では、お釈迦様の教えが僧院の僧侶に限ってしまったのでは、お釈迦様が45年間説法した意義というものはなくなるのではないかというようなことで、むしろそこのところを中心に仏教を展開しようというのが大乗仏教です。ですから大乗仏教は社会において利他行に専念をすること、つまり社会的な働き・行動・実践に目を向けたのが大乗仏教です。

※上記は東京国際仏教塾第33期スクーリングにおいての小峰彌彦先生の講義の冒頭部分です。
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