オリンピックシンボルで思うこと…④

多様性と調和がコンセプト

この多様性と調和は、東京オリンピックの三つのコンセプト(①全員が自己ベスト②多様性と調和③未来への継承)にも掲げられ、東京パラリンピックでも、多様性の受容と共生、差別や隔てのない共生が基本理念です。多様性と調和とは、単に「人はさまざまだよね」とか「いろんな人がいるよネ」といった個性の違いを認めるということではなく、人種や性別、言葉、宗教、政治、障がいなど自分たちと違った人たちが集団としてあるということを認め受け容れるということですが、それに留まらずその集団を尊重し共に生きるということです。共に生きることこそが、自分や社会、世界の維持・発展に必要・不可欠なものとして積極的に尊重することを意味します。相手のために認めるのではなく、自分たちのためにこそ必要、欠かせないとして共に生きていくのが共生です。

浄土は平等

では仏教ではどうでしょう。まず、浄土真宗をひらかれた親鸞は『浄土和讃』で、
清風宝樹をふくときは いつつの音声いだしつつ
宮商和して自然なり 清浄勲を礼すべし。
「清らかな風が浄土の宝樹の林を吹きわたると、五つの音声が自然に調和して聞こえてくる。これは阿弥陀如来の清浄のはたらきなのでその仏様を敬いましょう」。五つの音声とは五声という中国の音階で「宮・商・角・徴(ち)・羽」。ド・レ・ミ・ソ・ラ。浄土では不協和音も自然に調和するということです。また、宝池では青・黄・赤・白の蓮の花がそれぞれの色の光を放って輝き合いながら調和しています。
実は浄土では多様性とか調和というより、もともと上下・優劣などの差別、隔てなどはなく、すべてが平等です。すべての者を一人残さず平等に救うという阿弥陀如来の願いで建立された浄土では、「皆が同じ容姿で、麗しい醜いなどの違いがない」(『大無量寿経』・第四願)とあります。阿弥陀如来の別名は平等覚・平等力。お釈迦様が国の根幹の身分制度を否定されたように、仏教が目指すのは平等です。老少・男女・善悪・貴賤・賢愚などの差別なく、あらゆる人が等しく仏に成れるという教えを「一乗」といいます。みんなが一つ。あらゆる違いや隔てを乗り越え、皆が手を取り合って一緒に仏に成るという仏教・仏の教えが、今は優劣を競い合っているオリンピックを見ていて、思い起こされたところです。  -おわり-

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