「無有代者』代わる者はいない③
【「無有代者」の教え】
めでたし、めでたし…ですが、こうした身代わりについて、お釈迦様はどうお考えでしょう?
答えは『仏説無量寿経』にあります。「独生独死 独去独来」(独り生まれ独り死に独り去りてて独り来る)は、よく知られていますが、実はその後に、「身自当之 無有代者」(自らこれに当たりて代わる者あることなし)とあります。全文は、「愛と欲の世界に、人は独りで生まれ独りで死に、独りで去りて独りで来る。それぞれの行いによって苦や楽があるが、それは自分自身が受けるもので代わりに受ける者はいない」。
「代わる者あることなし」ですから、代わる者はどこにもいない、ということです。ピンチヒッターやリリーフがいますが、それはその場しのぎで、自分に代わるものではありません。自分の行いの結果は自分で受けるしかないのです。
苦しんでいる人を見て、どんなに代わってやりたいと思っても代わることは出来ません。仏様でも代わることは出来ません。因縁因果・縁起の道理は仏様でどうしようもないのです。代われない代わりに、阿弥陀如来は皆を苦しみから救おうと考えました。それを詠った和讃のひとつが次の和讃です。
無碍光仏のひかりには 無数の阿弥陀ましまして
化仏おのおのことごとく 真実信心をまもるなり
意味は「阿弥陀仏の光の中には数知れない阿弥陀仏の化身の仏様がいて、それぞれがそれぞれに仏を信じる人を護ってくださっている」。阿弥陀仏は、悩み苦しむ衆生に代わることは出来ないが、その代わりにいろいろな手立てで救いの手を差し延べてくださっています。「光明遍照十方世界 念仏衆生摂取不捨」(仏様の慈悲の光が世界の隅々を照らし、誰も見捨てることなく掬い取ってくださる)を信じ、何があっても慌てず安心して受け止めていきましょう。
-終わり-
この続きのエッセイを、改めてお届けします。お楽しみに!