第二回目の修行を終えて

第34期 T.M.

「覚りとは、愚かな自分に気付くこと、もう一つは真実の自分に出会うことである。そして坐禅はその覚りを得るための手段として行うのである。」大熊学監は坐禅に取組む目的を明確に示されました。
しかし、実際に坐禅に取り組んでみると足の痺れや腰の痛みばかりが気になり、私は「早く時間が過ぎて終わってほしい。」と思っていました。私は坐禅の目的を見失い、早く苦痛から解放されることばかりを願う愚かな自分を大変情けなく思いました。その一方で、愚かな自分の一面に気付いたことは、覚りの一形態であったのではないかとも感じました。
2日目までは痺れや痛みばかりが気になり坐禅に集中できていませんでしたが、3日目は足の組み方を変えて、足の痺れが起きにくくなるように工夫をしました。呼吸も痛みばかり気にしていた時は浅かったのですが、それまでとは比較にならないほど細く長く息を吐き続けることができました。
呼吸が長くできるようになると足腰の痛みの方も堪え易くなり、意識を痛みから呼吸に集中させることができるようになりました。息を三十秒吸って三十秒吐く。これを目標に坐禅に取り組みましたが、今回の修行では30秒吸って20秒吐き続けることが精一杯でした。それでも、雑念ばかりの坐禅ではなく、腹式呼吸をすることと数を数えることだけに意識を制限して坐禅に取り組むことができるようになったことは、自分にとって良い収穫であったと思います。
 坐禅修行が終わり、帰りのバスから見えた山々の緑は非常にまぶしく輝いて見えました。これは、今回の坐禅修行で認識した愚かな自分が坐禅を通じて少しだけ前進することができたという達成感が、景色を美しくさせていたのかもしれません。

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