臨済宗僧侶、太田宗誠師の第二の人生の歩み方①-現実と憧憬の狭間で揺れて-
第36期 第2回修行体験の際、ご指導に参加くださった臨済宗妙心寺派僧侶、太田宗誠師にお話を伺ってきました。
太田師は、元々、大手エアライン会社や系列ホテルのゼネラルマネージャー、そしてアメリカ・ワシントンで空港の開設、撤退まで務めた方。ある意味、エリート街道を歩んでいた方が、なぜ、仏門に入ったのか。その理由を含め、3回に分け、ご紹介いたします。
禅との接点は高校生の時に始まりました。当時は哲学ブーム。それも相まって、太田師が通った早稲田大学高等学院の坐禅同好会へ入会したそうです。以来、会社勤務の時も坐禅会に参加。ひとつ違うことは「会社員になって参加していた時は、自分自身の感情のコントロールのためだったように思う」。
社会人であれば思い通りにならないことも多いでしょう。そんな時には「坐っていた」と太田師。ただし、それは趣味の延長線上であって、禅的世界観の中で生きているわけではありません。
64歳になったころ、長野県千曲市・開眼寺の柴田文啓住職を取り上げた新聞を目にした太田師は、柴田師へ連絡し、面接を受ける流れへ。そこで何度か、禅寺体験を経験させてもらえるようになりました。同時に芽生えたのは、「これまでは資本主義という名の“宗教”の中での達成感で生きているだけなのかもしれない。そこから、自分を開放してあげることが必要なのではないか」という気持ちです。ただ現実は、お母様の介護などを奥様に任せっぱなし。「出家して、僧侶になる!」という第一歩を踏み出すには気が引ける状況でした。一方で、膨れ上がってきた僧侶になりたいという心も押さえ切れない。その狭間で、揺れ動いていたといいます。
僧侶になるには踏まなくてはならない道のりがあります。
人物を見定める個人面接から始まり、禅寺での体験。その禅寺で師僧になってくれる方の指導を仰がなくてはなりません。一般的な言葉でいうなら、身元引受人のようなものです。その師僧からOKが出て、やっと得度。得度し僧侶になってからも、修行は必須です。それをクリアして、やっと入寺。入寺して、地域の方からの受け入れがあって、そこから正式な寺院生活がスタートします。
宗派は違えども、どこも、そう簡単に僧侶になることは出来ません。
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