佛縁を振り返って

第29期 星野 研至

三重県伊勢市の太江寺で役僧をしています星野研至です。
佛さんの世界と御縁が結ばれ、今にいたるまでの振り返りを、この場を借り、自分自身の整理も兼ねて、簡単に纏めてみたいと思います。

最初のご佛縁が、今も小生の宗教的基盤となり現在に至っているのかなと思います。

小生が小学生の頃でしたでしょうか? 
大分県に本山がある釋空満寺の故・猿渡康道管長猊下と御縁が出来た事から始まりました。管長は、お寺の子として生まれ、修験者の方が子守役として、傍におられました。赤児の頃から修験者の腕の中で滝行をされて来ました。成長されるにつれ、行を修めながら、多くの方を導いてこられました。晩年には、書も独学でしたが、上海政府の国賓待遇で猿渡管長が佛跡視察団として招かれ、中国佛教協会副会長の明暘法師猊下(江沢民氏の相談役)と会見され、蘭亭書法博物館に揮毫が納められています。管長から名前(研至)を頂いたのが、小学生高学年頃かなと思います。
小学生の頃の夢はお坊さんでした。夢は一応、実現しましたね。
人の幸せを具体的に実現されている姿をみていたら凄い人に出会えた尊敬の念もあり、この世界に踏み入ってしまったのかも知れません。

高校生になると、恩師となる担任の先生との出会いがありました。事情を抱えている仲間もいました。学校を退学せざるをない生徒のために、色々なサポートをする経験もさせて頂きました。
この頃には、漠然ではありますが、人の役にたてたら良いなという気持ちが出て来ていたかなと思います。
大学生の頃は、犯罪を犯した方々とも一緒に働きました。初めての仕事でもあり、失敗をするような大変な事もありましたが、最終的には、仲間としての関係が深まり、職を辞する時は送別会を開いて頂き、お別れする事が出来ました。

大学を卒業して、暫く修行のために、四国遍路をいたしました。約1年間、四国を遊行して三箇霊場の巡拝結願。遊行中に、愛媛県今治の仙遊寺の小山田憲正住職に声を掛けて頂きました。住職との出会いは、私にとってありがたかったことです。当時の住職の奥様は癌で入院中でした。直接お会いする事もなかったのに、「(小生の)面倒をみてあげて」と住職さんに言伝されていたそうです。奥様が多くの方から慕われていた理由がわかる気がしました。
仙遊寺で奥様の葬儀のお手伝いをさせて頂きました。ここでは、住職の「話し相手になってやってくれ」がきっかけになり、お寺に預けれたお子さんと寝食を共にしながら、ともに昼間はお寺の畑仕事を日課とする生活をしていました。
そして、仙遊寺の蜜柑の葉と湯布院の“ほほえみ工房(福祉施設)”のスギナ茶をブレンドしたお茶の販売(限定販売)まで漕ぎ着けました。

半僧半俗でしたので、四国から東京に戻り、民間企業で働き、最終的に係長で退職しました。
職場は年配の従業員の方も多く、雇用年齢を引き上げる改善も図りました。お客様、会社、従業員それぞれが三方一両得になるように業務を作り直し、感謝状や佛教福祉活動奨励賞を会社から頂戴しました。

コロナの時期には、グループホームとB型作業所の2施設での勤務や、現場の福祉の支援手法などを経験させて頂きました。

師僧である猿渡管長が遷化されました。偶然の御縁によって、太江寺の永田密山住職に紹介を受けました。それ以降、僧侶として太江寺で手伝いをさせて頂くようになり、2年の歳月が経ちました。

太江寺の山門

太江寺では、認知症の方への支援をする機会もいただきました。また、お寺の日常の勤行や作務の合間に、悩みを持たれた方等への支援も行っています。永田住職は、吃音症でしたが、すっかり克服され、今は吃音症の影もありません。現在は三重県言友会会長として、吃音症の方のサポートをされ、また、法務省の人権擁護委員もされています。
この様に、良き師や多くの方との御縁やご支援のおかげで、私という人格が出来て来たことを感謝しています。

抽象的な支援だけでは無く、直接的に支援する大変さも楽しさも知りました。
現在、精神保健福祉士(ソーシャルワーカー)の勉強もしている者として、心を扱うのも佛教のひとつの役割と考えています。行を修めながら、もう一方ではお寺を通し、福祉の枠組みを活用。目の前の身近な人達を大切にしながら、私なりの佛教福祉活動を人生の一つの柱にしていきたいと思います。

出来る事から始めて、継続し続けることが大事。改めて、筆を執りながら考えました。
皆様も色々な思いがあり、ご佛縁をいただかれ、歩まれていると思います。同じ時代を生きる者として、ともに精進して行けたら幸いです。

合掌

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