禅和尚のぶつぶつ④ おかえり

テレビで観たドラマの話をいたします。それは、ある旅行会社が、故郷を持たない人たちに、ひとり暮らしの年寄りの母を用意して、疑似ふるさと体験をしてもらうという内容でした。
ふるさとを訪れるのは、食品会社の男性社長、定年離婚した男性、忙しさにかまけ、その間に母を亡くした女医、親の顔を知らない夫婦たちです。
旅行会社の手配で、彼や彼女たちは別々のタイミングで訪れます。その母親もまた、訪ねてきた息子役や娘役に合わせ、表札まで変え、最低の用意はするものの、誰彼の区別なく、にっこりと「おかえり」と迎えていました。登場人物たちは、その母親の、演技とは思えない自然な受け入れ方、彼女が暮らす村、山に囲まれた自然が、都会で頑張ってきた心を解き放ち、また生きていこうという気持ちを取り戻していきます。そして、なにより、「おかえり」というたった一言の温かさによって、無心な子供の心を取り戻すことができたのです。

やがて、その母親が亡くなりました。
村の人たちの優しいお節介もあり、会ったことがない擬似兄弟たちが葬儀の場に集まり、彼女との懐かしい思い出を語り合います。その中で、彼女が離れた町に住むひとり息子を津波で亡くし、それでも帰りを待ちわびていたことがわかります。

その内の一人が疑問を提起します。その母親は、派遣会社から雇われて母親業。ですが、どうして皆が満足する、懐かしむ母親を演じることができたのだろうか、と。

その答えをドラマの原作者である浅田次郎氏が語っています。「あの人が自然だったから」。

浅田氏がいう自然とは、自ら働きかけることもなく、「おかえり」の一言に込めた、是非の区別のない受け入れと、懐で温めてくれる無私な母親の姿なのでしょう。

私は機会を見つけては、禅の専門道場で坐禅修行をしています。石畳のヒンヤリした禅堂の空気の中に一歩足を踏み入れた時、道場に祀られている文殊菩薩様が「おかえり」と出迎えてくれるような気がします。その「おかえり」は、外の世界で知らぬうちに身についた垢を落とし、もう一度、裸の世界へと還してくれる魔法の言葉のように思えてなりません。

    太田宗誠 合掌

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