第2回修業を終えて

第36期 G.Y.

「禅に学ぶ」はずの鹿野山の修行体験でしたが、学びの道の入口にさえ立てなかった、そんな気がしてなりません。もとより2泊3日という短い期間でしたので、何かを学ぶ間もなく坐禅、朝課、晩課等のスケジュールに追われているうちにあっという間に時が過ぎ去ってしまったような気がします。前回の日蓮宗妙厳寺での体験に続いて2回目ということもあり、よくない「慣れ」のような感覚で少し気が抜けていたのではないか、反省ばかりが残った3日間でした。

そんな中でも、不自由な脚で坐禅を組むことにもようやく慣れてきた3日目になって、何か答えを求めたいだとか、今やっていることの意味は何なのだろうか、などといったことをずっと考え続けている自分がいることに気がつきました。
もっと人の役に立つ人間になるために新しい何かを求めて仏の道の学びを始めようと決めたはずが、その何かを得たい、求めたいという思いが、却って心の枷になって学びの邪魔をしているのではないか、そんな気がしました。
外界から隔てられた環境の中で、心を空にして自分と向き合う。それが禅の修行の第一歩なのではないかと思うのですが、その準備が自分には全くできていなかったのだと思います。学びを得たいと考えること自体が煩悩なのだとすれば、学びたいという思いが学びの道の邪魔をしている、そんなジレンマを抱えたままこの先もずっと進んでいかねばならないのだろうか、そんな複雑な思いを持つと同時に、日常の雑事に取り紛れてということではない本当の意味での「何も考えない」ということの難しさを実感した3日間でした。

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