諸行無常の「こころのじゅんび」

東京ヤクルトスワローズのマスコット「つば九郎」の“中の人”として長年活躍されたスタッフが亡くなったという知らせに、日本中が悲しみに暮れています。

自由奔放な振る舞いと毒舌混じりのフリップ芸で、野球ファンのみならず多くの人々を魅了してきた彼が、あるインタビューでこう言ったことがあります。

「ものごとにはじゅんじょがあります。とうぜん、ぼくのほうがさきにいなくなるとおもうので、こころのじゅんびをしていてほしいな。」

これは、小学3年生からの「つば九郎が自分より先にいなくなるのが心配」という問いに対して語ったものでした。一見、いつものユーモアを交えた発言のようにも思えますが、その言葉の裏には、彼の深い死生観が垣間見えます。

仏教では、「無常」とは、この世のすべては常に変化し、同じ状態にとどまるものはないという教えで、「諸行無常」とも表されます。生も死も、喜びも悲しみも、すべては移ろいゆくものであり、この世の無常を知り、物事に執着しないことが、苦しみから解放される道であると説かれています。

つば九郎の言葉は、まさにこの「無常」を体現しています。彼は、すべての生きとし生けるものは、永遠には生きられない、いつか必ず「いなくなる」時が来る。そのことをファンに伝えることで、命の有限性、そして「今」という瞬間の大切さを改めて認識させてくれたのだと思います。

仏教では、死は終わりではなく新たな生の始まりであり、特に浄土経典では「浄土に往生する」と説いています。つば九郎は、「いなくなる」という表現で、死ぬのではなく、別の形で、別の場所で、再び私たちの前に現れてくれるということを示唆していたのではないでしょうか。

わたしたちの命には限りがあります。生まれたものは必ず死を迎えます。しかし、死があるからこそ、私たちは「今」という時の尊さを感じ、縁によって生かされている命のありがたさを感じることができます。

つば九郎の言葉は、今も私たちの心の中に生き続けています。

合掌

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