禅和尚のぶつぶつ⑤ 百花春至為誰開(ひゃっかはるいたってたがためにさく)

「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」(伊勢物語)と詠まれるように、日本人は桜に特別な思い入れがあります。武士や江戸っ子たちは、咲き誇る美しさを愛でながらも、綺麗なうちに惜しげもなく散る潔さを、諸行無常と重ね、生き方にまで影響を与えているように想います。


1991年から96年まで米国・ワシントンDCの近くに暮らしたことがあります。ワシントンと羽田をつなぐ路線のためです。職場がある郊外の空港と市内の支店の往復で、国会議事堂、リンカーン廟、スミソニアン博物館などの名所を、観光客と同じように楽しむ機会に恵まれていました。

その中で、思い出されるのは桜の景色です。
ワシントンの桜は日米親善のため、1912年に東京、荒川堤の五色桜が送られたものだそうです。現在でも桜祭りが日米協力の下で行われています。
その桜の姿は、咲き誇り一筋。あまり枝を剪定しないこともあり、垂れ下がるようにして花をつけます。さらに乾いた空気の中、色取りが一段とくっきりと目に映り、まさに「生きる」ことを謳歌するためかのように咲いています。桜の次に、可憐なドッグウッド(ハナミズキ)がいたる所に咲き出しますから、もしかすると、ワシントンの人々には桜の散るところへ意識がいかないのかもしれません。

「百花春至って誰が為にか開く」とあるように、桜は誰かのために咲くわけではなく、桜自身の中にある生命の作用に従っているだけです。ありのまま、自然に咲いているだけであって、日本人が心を託す潔さや諸行無常を象っているわけではありません。所詮、自分の思いを、咲く花に勝手にのせているだけ。そういう意味では、一生懸命に咲き誇る花を楽しむアメリカ人の方が、素直に生きることを捉えているように感じます。

初代大統領・ジョージ・ワシントンの「桜の逸話」は、19世紀初頭にメーソン・ロック・ウィームズによる『ジョージ・ワシントンの生涯と記憶すべき行い』の第5版に初めて登場しました。子供向けの内容ながらベストセラーとなり、アメリカのみならず、世界中でよく知られているエピソードです。この逸話の真偽は不明ですが、桜の「潔さ」と「正直」な心は、相性が良いように思います。

太田宗誠 合掌

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