「諸行無常」について
「諸行無常」とは、あらゆる存在は常に変化しており、移ろいゆくものであるということです。縁起の道理からすれば、あらゆるものは縁によって生じ、縁がなくなれば去っていきます。
お釈迦様の最後の言葉も「諸行は滅びゆく。怠ることなく努めよ。」と諸行無常を伝えるものでした。
有名な「平家物語」の冒頭の「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」、「方丈記」の「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。」にも、無常の考え方が表れています。
生物学的に考えても、すべての生物は、必ず老いて死を迎えます。何万年、何億年という長い目で見ると、岩や山、大陸、惑星、太陽でさえも、移ろいゆくものです。われわれの世界はすべて移ろいゆくものであり、われわれ自身もかりそめの存在です。そして、形を失って消えていくものは、必ず新たな生命や世界の源となります。滅びることが実は新たなものを生み出していくのです。
諸行無常は、日本では寂しい感じに捉えられますが、本来は積極的な、前向きな面も持っています。われわれの命は、消えゆくむなしい存在ではなく、この宇宙全体のつながりの中から、今この瞬間に奇跡的に生み出されている存在であるということです。すべての命はかけがえのないものです。与えられた命をありのままに生きていくことが大切です。仏教的世界観から言えば、命は自分のものではなく、仏さまから与えられたかけがえのないものです。
われわれの体は消え去りますが、万物のつながりの中で、大きな命の流れの中で永遠に続いていきます。過去から現在に至るまで、あらゆるものがわれわれの中に内在しています。華厳経には、一粒のケシの実の中に全宇宙が内包されているという表現もあります。生と死の境はありません。これを、お釈迦様は、「不死の門が開かれた」と説かれています。
※上記は東京国際仏教塾第36期スクーリングにおいての大洞龍真塾長の講義の一部を抜粋したものです。
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