鹿野山禅研修所 修業体験を経て

第36期 A.Y.

「禅は工夫」初日に聞いた大熊学監の一言が修行体験に大きな影響を与えてくれた気がする。

今回の修行体験でも前回同様、最も神経を使ったのは食事である。音を立てない工夫、遅れをとらない工夫、自分なりに考えて行なっているつもりでもふと気が緩んだ瞬間に日頃の習慣というものが出てしまう。習慣という「我」の強さを痛感させられた三日間でもある。

熱い汁物やお粥を、遅れをとらずに摂る工夫。お漬物も音を立てずに食す工夫。迅速に綺麗に持鉢を洗う工夫。そんなものを考えて集中して食事を摂っていたら、いかに日頃一つ一つの所作を雑に行なっていたかが身に沁みた。

以前何かの記事で、「音を立てないように食事をするのは飢えに苦しむ人や餓鬼を更に苦しめることがないように」、と読んだことがある。ただ闇雲に音を立てないように暮らす、というのでは息苦しいことだ。しかし、その背景にはそんな慈悲とも呼べる配慮があるのだと意識するだけで率先して勤めようと思える。その上で自分の心も落ち着くという副産物も得られることに因果を感じた。

ただ厳しい作法があるのではない。一つひとつそうとするには理由がある。その理由を考え、自分なりに腑に落としていくのも一つの道程なのだろう。

私の街には知る限り臨済宗のお寺は一つだけで無住寺だ。真言宗と曹洞宗が大半を占め、その影響か、禅といえば曹洞宗が真っ先に浮かぶ。今回の修行を通じ、今まで触れたことのなかった臨済宗というものに興味が湧いた。

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