NEW!禅和尚のぶつぶつ⑧ 「公案」は禅修行の教育ツール
ある坐禅会で、臨済宗の「公案」とは何か? 何のためにやるのか?と尋ねられました。
この質問を投げられると、私の頭の中に老師が鳴らす「ちりんちりん」の音が流れてきます。
「公案」そのものは、禅関連の本やスマホで検索すると意味は示されています。
そこには、参禅者に考える対象や手がかりを示す「祖師の言葉・行動」 と書いてあります。
まずは禅の修行について、ご紹介しましょう。
禅は、お釈迦様がお示しになった三法印の世界観を下敷きにしながら、それを表現する行動や生き方を、いかに自分の中に確立するかという取り組みです。
専門道場の修行は、読経と規則正しい生活に加え、老師から「公案」なる課題を与えられ、それに対する自分の立場、行動内容、心境等を踏まえながら、自分の言葉で回答していきます。
あくまでも私見ですが、「公案」とは、臨済宗の修行の教育ツールのひとつ。老師から与えられる課題を指していると捉えています。
ならば、禅関連の本をたくさん読んで、祖師の言行録を暗記。1,700は超えるという公案なる課題の答えを諳んじておけばよいのでしょうか。
残念ながら、そうはいきません。
老師は、回答の内容だけでなく、態度全体、弟子の理解度、精神的な成長度合いをみて、是非を判断します。
といことは、頭で考えただけの答えではOKしてはくれないことはお分かりでしょう。ある意味、人材を育成するための家庭教師の様な、修行する身としては、とてもありがたい存在です。ただし、家庭教師とは違い、どこが悪いと指摘はしてくれず、「ちりんちりん」という音とともに、ただ追い返されるだけです。
特に集中修行期間=接心(せっしん)の時には朝、晩と連続して一人ずつ老師の部屋に伺い、公案の回答を試みます。朝に駄目な時は、昼間の作務の間に考えることも出来ますが、夜に戻されると朝までに新しい答えを用意しなければならず、おちおち寝てもいられません。
やけくそで向かっていっても、「よし!」と言ってもらえた時には、回答の是非よりも、自分の心が晴れるような喜びが湧いてきます。もっとも、それも一瞬です。さらに公案は続きます。
アスリートのなかには厳しいトレーニングで自分の限界に挑戦し、ぶっ倒れるような状況にあって、何かが身体の中で弾けて、より高位のパワーが出るケースがあると聞きます。
臨済宗の公案には、そんな効果があるように思います。
心理的に追い込まれることで、今まで積み上げてきた外側の自分の殻や思い込みが一瞬消えて、その隙間から新しい見方、気づきが生まれるのです。先入観を引きはがし、元のまっさらな自分=仏を再確認させてくれる、人間育成のための修行なのです。
太田宗誠 合掌

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