禅和尚のぶつぶつ⑫ ココロを蝕む三毒、貧瞋痴を考える
今回は「老人の幸せ」について考えてみました。若い方は「自分には関係ない」と思われるかもしれませんが、人は平等に歳を取りますから私事として考えてみてください。
お釈迦様は王子の時、城壁の門で「病人・老人・死人」に出会います。それを見て、同情するよりも恐怖を覚え、その恐怖の心を克服するために、修行に入られました。
ということは、老人問題に最初に取り組んだのは、お釈迦様だということになります。さらに言えば、お釈迦様が説かれた仏教は、老人問題の解決の道筋がいっぱい説かれているということです。
人間の三大不安は、病気、貧困、孤独。
そして、仏教の肝は、不安を解消して「大安心」を得ることにあると思います。
勿論、年を重ねてきた時に、社会的には治療、年金、介護等援助制度で支えてはくれます。しかしながら、なかなか心の不安を解決するまでに至らないというのが現状です。
そんな心の不安が不満に向くのでしょう。老人が陥りやすいといわれるのが、怒りっぽい、頑固、新知識への興味低下等の傾向です。
それに対して仏教は、「貪瞋痴の三毒」から離れなさいといいます。
貪る心は、自分の内側に溜め込み、溜め込んだものに執着し、それを守ろうとする心が強くなり、他を寄せ付けない。その結果、不満で膨れた頑固な心を育成してしまいます。
自分を守ることが強くなれば、周りに対し攻撃的になり、自分が理解されない気持ちで孤独感が増し、ますます怒りっぽくなっていきます。
自分を正当化して守ることが忙しいと、世の中の変化の意味や将来の姿といった事象の裏側にあるものが見えなくなり、興味を失い、痴の状態になります。
私を含めた年寄り世代は、世の中はなかなか思い通りにいかないものだと、今まで歩んできた経験から理解してはいます。理解していながら、諦めきれない心は求め続け、上手くいかない事案が起こると周りの所為にして瞋り(=怒り)、自分で自分を不幸に追い込みます。
年齢ばかりの問題ではありませんが、愚痴が多くなるのも、この頃からのように思い当たります。妻から「なにを言っているのか、さっぱりわからない」と指摘されることが多くなりました。
では、この三毒=貪瞋痴から離れるにはどうしたらいいでしょう。
まずは、逃れられない現実を、あるがままに受け入れることです。
過去の経験は教訓だけに留め、思い煩わず、未来は予想だけに留め、余計な心配をせず、ひたすら「今」を工夫して生きることに集中。決して焦る必要はありません。少しずつでいいんです。一歩一歩、前へ進んでいく姿勢が大事です。
そのうち、自分への集中力を通し、体内の細胞が生きようとして一生懸命に活動していることに気づきます。体内の力を信じ、身を委ねることができた時、自分の中の不満や不安が消え去るだけでなく、周りの命を含め、全てが「良し」といえる穏やかな生き方が手に入ります。
坐禅は、欲しいものや気に入らない周りなどの雑念や、外ばかりに向けていた眼を、一旦、自分のなかに戻してくれます。その上で、偏らない目線で心の動きを探り、隠れた不満や不安の原因を見つけ、取り除いてくれる得策です。
私たちの世代は、すでに荒々しい中流も過ぎて、ゆったりとした河口付近を通過中ともいえます。人生の大詰めを流れに流されることなく、自分の櫓を漕いで「どんぶらこ どんぶらこ」と、慌てることなく、ゆったりと大海の一滴に戻りませんか。
太田宗誠 合掌

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