禅和尚のぶつぶつ⑱ 演歌のなかに観る仏教
1994年にリリースされた演歌「花のように鳥のように」をご存知ですか?
作詞が一世を風靡した阿久悠さん、作曲が杉本真人さん、歌手がハスキーボイスで当時のオジサン達を魅了した韓国出身の桂銀淑(ケイウンスク)さんです。
その歌詞の一番は次の通りです。
「そこにあるから 追いかけて
行けば はかない 逃げ水の
それが しあわせ あるよでなくて
だけど 夢見る 願かける
花のように 鳥のように
世の中に 生まれたら いちずに
あるがままの生き方が しあわせに近い」
我々は「しあわせ」というものを常に追い求めています。
現代のしあわせは、様々な広告やSNSでの情報を通じて外から示されたものが多いように思います。それを受け止め、求めること、追いかけることに夢中になり、却って自分を疲れさせ、イライラさせて、たどり着かないゴールを思って、その不幸を嘆くのです。
一方で、花は誰かのために咲くのではありません。鳥は今日を生きるため木の実を一生懸命探します。先の不確かな夢に引きずられるのではなく、今の自分の命を咲かせるため生きているのです。
演歌といえば年寄りの楽曲のように捉える風潮がありますが、日本の演歌、流行歌は聴けば聞くほど、人に寄りそう生活唄だと感じます。思い通りにならない世の中で、辛く、悲しい、悔しい思いをしても、しのんで、耐えて、怨まずに、世間の隅でも自分を信じて健気に生き抜いていこうという、応援歌です。
それは仏教の精神にも通じています。
ある坐禅会でこの曲を紹介したら、世代を超えて皆が「なるほど」と納得されたようです。
人から示された「しあわせ」は逃げ水のように、たとえ掴まえたと思っても、直ぐにつぎのゴールを与えられ、また追いかけさせられる、と。
その永遠の追いかけごっこを仏教では輪廻(無明)と呼びます。それは無限のループです。
永遠に続く渦から逃れるにはどうしたらいいのでしょう。
それは外から示された「しあわせ」に縋りつくのではなく、執着していたその心を自分に向けて、「花のように 鳥のように」与えられた運命を「あるがまま」に受け入れ、どんな状況でもしなやかに楽しく今を生きていく。
この歌は、そんな「あるがまま」の生き方が「しあわせ」なんだと、改めて気付かせてくれます。
合掌 太田宗誠

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