禅和尚のぶつぶつ⑰ 子育ては自分育て

自宅の前の通りの先に保育園があって、朝に道の掃除をしていると、親に連れられたくさんの子が通ります。元気に挨拶してくれる子、恥ずかしそうに親に隠れて通り過ぎる子、楽しそうに走り去る子や、いやいやながらついていく子など、色々な子供たちがいます。


こんなに小さなうちから一人一人が個性を持っています。目が合えば素直な優しい眼差しを向けてくれ、「衆生本来仏也」という言葉が呼び起こされます。その子らを連れて、炎天下でも雨の日でも通ってくる親御さんの努力を目の当たりにすると、「親がなければ子は育たぬ」といった言葉も浮かびます。ともに、良い家庭を築いてほしいと願わずにはいられません。

そんなご家族の姿に触発されたか、ある日、この古歌がよぎりました。

一休禅師が詠んだとされる「生まれ子の次第次第に知恵つきて、仏に遠くなるぞ悲しき」です。

同時に、私の中にも子供がいるのではないかと思ったのです。

その子は、小さいうちには自分の気持ちに素直で、欲しいものがあれば一生懸命手を伸ばし、手に入れば笑い、手に入らなければ泣くことで、自分を表現することに見栄も恥ずかしさもなく、あるがままに過ごしていました。

言葉を覚え知恵がついてくるに従い、欲しいものが多くなります。外の世界を知るとさらに興味が広がります。体を使わなくてもお金を払えばものが手に入ることを知ると、あれ買って、これ買ってと言いに来るようになります。
その頃には知恵も進んで、欲しい理由を見つけたり、場合によっては人と比べたりもします。そうやって自分の欲望を正当化することを覚え、何かあると自分を正しく見せるために人の所為にしたり、周りの所為にしたり、言い訳するようになっていきます。

親は「世の中は自分の思い通りにならない」「過大な欲望は却って自分を破滅させる」ことを、その子に理解させる努力をします。
お金は先ず稼がなければならない、人を批判していれば争いしか起きない、嘘は罰せられる等々、欲望を実現するための社会のルールを教え込もうとします。
正しく対応しているうちはいいのですが、いつか子供は大きくなってコントロールできなくなり、逆に親をも隷属させる力を持つようになります。
それでも親は諦めることなく、時には諭し、優しい気持ちを取り戻すように努めます。手放すことで本来の素直な姿に戻してあげ、本来の家族としての一体感を取り戻すよう常に努力を怠らないよう接します。

結論を急ぐつもりはないのですが、上の文の「その子」を「自分の心」に置き換えてみてください。立派に意味が通じるとは思いませんか?

太田宗誠 合掌

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