禅和尚のぶつぶつ⑩ 「不立文字」(ふりゅうもんじ)で感性を取り戻そう

年々激しさを増す異常気象のなか、今年も更に暑い夏が本格化します。
先ずは「残暑見舞い」申し上げます。

TVでは熱中症への警戒が叫ばれ、部屋の中に入れ、クーラーを使えと不安を掻き立てます。まるで汗をかくのが非人間的行為のような気持ちがします。

禅の専門道場に一歩踏み入れただけで、暑い時には暑く、寒い時には寒く、あたかも自然公園にいるような体験をさせてくれます。特に私がいた愛知県犬山市の僧堂は、下に木曽川が流れており、夏は湿った熱風を運び、冬は川を渡る寒風が開け放たれた窓から沁み込んできます。特に夏の坐禅は、坊主頭を流れる汗を拭うことも許されず、その流れるままを感じながらであって、修行という気持ちを越えて開き直りの境地になります。ボーっとして「暑い」とかの言葉さえ浮かんできません。

我々は意識に浮かんできたものを「言葉」に置き換える訓練をしてきました。言葉は単に伝達の信号ではなく、同じ風景を見る為の情報として発達してきました。特に漢字は、元が絵文字から発展したため、目に情景が浮かぶ要素が強いような気がします。
その結果、我々が暑いなと感じるときには先ず「暑い」という漢字が浮かんできて、それから「感じる」という段階を踏んでいるような気がします。でも汗まみれの状況では、言葉はいりません。

一方で普段の坐禅では言葉、思いに囚われるな、離れろと指導されます。「言葉」で整理された情報は全体ではなく、伝える人の思いが上乗せされるため、ますます真実から離れていく場合があります。真実は言葉では伝えられないのです。
近頃ではSNS等の新しいコミュニケーション方法が発達する一方で、切り取られた情報、誤った情報の拡散が問題になっています。

そこで今回の提案は、自分の五感を通して周囲を感じる能力を取り戻し、情報の取捨選択、裏にある真実に触れることです。
「文字、思い、自分」を忘れ、自然をそして周囲を「ありのまま」に感じ、受け入れることで、言葉・情報で積み上げられた自分の思い込みや先入観が外れ、自分自身の評価や判断が可能になります。それが真の情報であり、それをあなたなりの受け入れをすることで、逆に真のあなたが見えてくることに繋がります。

さらに、自然との共生において言語は無用であるともいえます。
四季の訪れや天気の移り変わり、動植物の習性や相互利用等、言葉は外側に対しては途端に無力になります。今、私たちに求められる、もしくは取り戻したいものは、自然を感じる感性であり、その感性に培われた人間同士の言葉に寄らない伝達を可能にする、全人格的なコミュニケーション訓練だと思います。
それを達磨大師は「不立文字」と宣言します。

太田宗誠 合掌

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