【仏教の基礎知識】「発菩提心」とは
「発菩提心」とは ~仏道を歩む原動力~
東京国際仏教塾での学びは、単なる知識の習得ではありません。それは「仏道を歩む」という実践の道です。その出発点であり、常に立ち返るべき指標となるのが「発菩提心」です。
発菩提心とは何か
発菩提心とは、正式には「発阿耨多羅三藐三菩提心(ほつあのくたらさんみゃくさんぼだいしん)」と言います。「この上ない、正しく完全な悟りを求める心を起こす」という意味です。
大乗仏教において、これは単なる願いにとどまらず、自我への執着から離れ、自らの心を「智慧」へと転換させていくプロセスそのものを指します。
苦しみの原因と「我執」からの解放
私たちが日々感じる苦しみの根本原因は、どこにあるのでしょうか。仏教では、それは「変わらない固定的な自分がある」と思い込む「自我への執着」にあると考えます。
私たちは無意識のうちに他者と自分を比較し、自分を大事にし、守ろうとする「我執」に囚われています。仏道とは、この我執を離れ、ありのままの真実を見る仏の「智慧」をいただいていく歩みです。
「自分を捨てる」ことが「利他」につながる
仏道の修行を通じて自我への執着が薄れていくと、自然と他者の苦しみへの共感や自分以外の者を慈しむ慈悲の心が現れてきます。
「自分を捨てていくプロセス」そのものが、実は「利他」の実践であり、それが真の智慧(悟り)へとつながっていくのです。自らの悟りを求めることと、他者の真の自己実現を願うことは、実は一体のものであり、決して切り離せるものではありません。
仏教を学ぶということ
当塾の特別講師を務めていただいている竹村牧男先生(元東洋大学学長)は、令和7年度開講式におけるご講演「発菩提心ということ」の中で「発菩提心」の本質と、仏道を歩む者へのメッセージとして、仏教の目的が「自我を超えていくこと」にあることを、以下のように強調されています。
「結局、仏教を学ぶということは、今まで自分が自分だと思っていた自我の虚妄性を了解し、手放していくこと。今までの私の自我への固執、我執を、ありのままの真実をみる智慧へと転換させていくプロセスであるといえます。」
また、塾生へのメッセージとして、
「それぞれの宗派の修行、教え、そういったものを通じて、自らの心を深く見つめ直し、この上ない正しい悟りを求めていくという、終わりなき歩みを続けていただきたい」
と、単なる知識としての仏教ではなく、自己を変革し続ける根本となる「発菩提心」の重要性を説かれました。
仏道に終わりはありません。この「発菩提心」という確かな指針を携え、日々の営みのなかで「自己を見つめ直す探究」と「悟りへの情熱」を分かち合いながら、どこまでも続くこの道を共に歩んでいきましょう。 (事務局)



