仏教を「生きた学び」として体験する(1)

東京国際仏教塾・第一回修行(1) ―

東京国際仏教塾の第一回修行は、千葉県大多喜町にある妙厳寺南無道場を会場に行われました。A組は、4月25日から、B組は5月3日から、それぞれ二泊三日の修行です。ゴールデンウィークを挟み、A組14名、B組15名と、多くの受講生が参加しました。

修行には、日蓮宗専門コースを修了された卒業生の方々も駆けつけ、研修指導や食事づくりなどを温かく支えてくださいました。こういった先輩方の存在が、初めて修行に臨む塾生にとって大きな安心となります。(塾のつながりの良き伝統です。)

A組は開講式の翌日が初日となるため、遠方からの受講生は千葉近郊に前泊し、五井駅に集合してバスで妙厳寺へ向かいました。午後一時、本堂にて開講式が丸山事務局長の司会のもと厳かに執り行われました。

大熊学監からは「この修行を通して、仏教の教えが日常生活の中で、どのような姿をとっているのかを感じ取ってほしい」との言葉がありました。続いて、妙厳寺住職・野坂法行師は「仏教は知識として学ぶものではなく、生活の中に受けとめてこそ、生きる指針となります。お寺での生活は、盲目的な自己中心性をひとまず脇に置く場なのです」と語られました。

開講式の後は、早速、大熊学監の講座が始まりました。
東京国際仏教塾で何を学ぶのか、その根本にある考え方として「四弘誓願」が丁寧に説かれ、大乗仏教を学ぶ方向性が示されました。さらに、学ぶ姿勢について、「すでに満たされた茶器にお茶を注げばこぼれてしまう」という譬えを用いながら、「まず自分を空にして学ぶことの大切さ」が語られ、受講生一人ひとりの胸に静かに響いていきました。

講義の後は、境内の清掃や草刈り、風呂を焚くための薪割りなどの外作務です。身体を動かし、汗を流す中で、場を整えることそのものが修行であることを体感します。

夕方からは、野坂住職による講話。初日のテーマは「仏法を識る者は世法を得る」。
日蓮宗の教えを軸に、仏法を学ぶとは何かが語られました。

野坂師は、仏教を本当に理解する者は自然環境を破壊することはないと述べ、地・水・火・風の四大と諸菩薩のはたらきを重ね合わせ、「大曼荼羅本尊」に象徴される宇宙的調和の世界を示されました。
『法華経』の根本には、「この世のすべては互いに関わり合い、支え合って存在していること」「存在するすべての人や物は、それぞれにかけがえのない役割を持っていること」があるのだと語られます。
仏法を学ぶとは、この世界が仏の大いなる意志のもとに成り立っていることに気づき、身勝手な生き方を離れ、自然や宇宙の摂理をわきまえた生き方へと歩み出すことなのだ――その言葉は、静かに、しかし力強く受講生の心に届きました。

続いて本堂に移動し、静坐と唱題行が行われました。
「数息観」による浄心行で心身を整え、太鼓の音に合わせて「南無妙法蓮華経」と唱え続ける唱題行、そして深心行へ。
野坂住職は「妙法の中に生かされている自分に気づくと、自然と感謝の念が湧き、心も穏やかになっていきます」と語られました。

夕食もまた修行の一環です。正座での食事、細やかな作法指導に、戸惑いながらも、一つひとつを大切に味わう時間となりました。

翌朝は六時起床。希望者は梵鐘を撞く体験に臨みました。
妙厳寺は、修行寺院の中でも数少ない梵鐘を備えたお寺です。初めて撞く鐘に緊張しつつも、静かに心を整え、お題目を唱えながら一打を放つ体験は、忘れがたいものとなりました。 朝の勤行、ラジオ体操、室内作務と一日が始まります。掃除の仕方一つにも丁寧な指導があり、日常の所作に心を込めることの意味が自然と身についていきます。
朝食後には、受講生一人ひとりが自己紹介を行いました。家族の問題を抱え心の拠り所を求めて、定年後の人生を見つめ直すために、経営者として人間的成長を求めて――動機はさまざまですが、それぞれが真剣な思いを胸に、この場に集っていることが伝わってきました。 (次回に続く)

大熊学監講話に熱心に聴き入る塾生

初めての勤行

境内の作務(さむ) 作務は大切な修行