昭和100年という節目

昭和元(1926)年から起算し、2026(令和8)年は満100年にあたります。
1945年~70年は第二次世界大戦を経たのちの復興に向け、日本人は必死に働き世界が驚くほどの高度経済成長を遂げていきます。東海道新幹線が開業し、東京オリンピックが開催され、一般家庭に新三種の神器とされるカラーテレビ、クルマ、クーラーが登場。1964年には日本人の海外観光渡航も自由化され、もはや「戦後ではない」と言われるほど日本は変貌していきます。
しかしながら1980年代のバブル景気とその後の景気後退によって、‘90年代半ば頃から、なんとも言えない空気が日本人の心へ無力感を植え付け始めたように思います。
いまだ記憶に新しい30年前の1995年。
1月17日に阪神・淡路大震災、3月20日に地下鉄サリン事件が起こります。日本が誇っていた安住と安全の神話は、繁栄の足を止める時を待っていたかのように次々と崩れ去っていったのです。
この年、1本の映画「日本製少年」が誕生しました。
東京国際映画祭アジア秀作部門招待作品、シンガポール国債映画祭、プラハ国際映画祭に招待。日本国内映画祭などにも多数招待上映されましたが、興行的にはヒットすることもなく「フィルムの瓦礫」の中に埋もれて行ったのです。
物語には当時の「行き場のない若者」が描かれています。
かつて衝動的に父親を「殺人未遂」した少年、大和と心臓のペースメーカーを入れながらも電池交換を拒否し、家出した少女、薫。停滞し、混乱し、空洞化するような都会の片隅で二人は出合います。行き場を見失い、彷徨う魂を持て余し、やがて日本社会の暗く深い溝に吸い込まれていくように破滅の道行きを辿っていくことになります。
この作品がデジタルリマスターされると聞き、改めてDVDを観なおしました。
そこに登場した人物たちは、「怒れる」という言葉は凡庸ですが、もう少し丁寧に言い換えると「何に怒っていいのかさえ見失って、自暴自棄になる」。けれど「それでもなんとかこの社会の中で生きていこうとしがみつく」必死な、実は真面目な若者たちの姿でした。結局、破滅してしまう物語だったとしても、主人公たちはもがいてあがいて、なんとか生きる場所を探そうと喘いでいたのです。
その姿が今の若者たちと重なっているように思えてなりません。
呆気なく闇バイトに手を染める若者たちをニュースで取り上げています。そんな彼らを軽蔑嘲笑する資格は、私たちにあるのでしょうか?
30年前よりも確実に社会のあちらこちらに闇の溝は増えているというのに…。
彼らと同世代だった若者は、すでに定年間近、定年を迎えた年齢です。
闇にのみ込まれぬよう必死に生きてきた年代にあたる私たちは、30年前の小さな映画「日本製少年」からのメッセージを、改めて、真摯に受け止めなければいけないと思えてなりません。
昭和100年、戦後80年という年の瀬の最後に、小林一茶の唄を贈ります。
「露の世は 露の世ながら さりながら」

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