沖縄の「エイサーと仏教」⑪

東京国際仏教塾卒塾生の並木浩一さんによる書き下ろしエッセイを連載でお届けします。第2部の4回目です。

「ひめゆり部隊の歌」を、嘉手苅林昌は念仏で締めた

旧盆のエイサーの踊り手は青年会の若い男女のメンバーが務めますが、三線と地謡を担当するのは、もう青年を卒業した年齢であることが珍しくありません。それだけエイサー歌には、年季と経験がものを言う、と言うことでしょうか。そしてエイサー歌はこうして青年会で伝承されるだけでなく、プロの沖縄民謡歌手のレパートリーでもあります。尊敬を込めて沖縄では唄者=ウタサーと呼ばれる本職の歌手が、有名な青年団の囃子をバックにレコーディングしたCDがリリースされることもあります。エイサー歌の名手として知られた嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)は、さしずめその代表格でしょうか。1999年に亡くなっていますが、いまも生前の音源を、沖縄では至るところで耳にする機会があります。
エイサー歌ではないのですが、その嘉手苅林昌が現在も活躍中の唄者、饒辺愛子 (よへんあいこ)とデュエットした「ひめゆり部隊の歌」を、CDやダウンロードサイトで聞くことができます。沖縄音楽ファンには知られた、嘉手苅と饒辺が1975年の終戦記念日に、日比谷野外音楽堂でのコンサートで歌ったライブ音源です。
沖縄戦で犠牲になった女学生の悲劇を綴るこの歌の、最後の歌詞が終わるか終わらないかのうちに、嘉手苅は「南無阿弥陀仏」と唱えます。風狂歌人と呼ばれた嘉手苅によるアドリブなのですが、その念仏はどこかから降りてきたかのように、するりと滑り出てくるのです。

Profile:並木浩一(なみきこういち)
1961年横浜生まれ。桐蔭横浜大学教授。時計ジャーナリスト。ダイヤモンド社「ダイヤモンド・エグゼクティブ」「TVステーション」両誌編集長、編集委員を経て大同大学教授(メディア論・芸術論)、2012年より現職。編集者時代に東京国際仏教塾9期入塾、「仏教を学ぶと、生きるのが怖くなくなる」と実感し、専門課程を経て浄土真宗で得度。「沖縄のエイサーと念仏」についても研究中。

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