一切皆苦 ー思いどおりにならない世界ー
「人生は思い通りにならない」――私たちが日々、直面する現実ではないでしょうか。
お釈迦様は、約二千五百年前にこの真実を「一切皆苦(いっさいかいく)」という言葉で示しました。これは「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」と並び、仏教の教えの中核の一つです。
「一切が皆、苦である」と聞くと、「楽しいこともあるのに、なぜそんなに悲観的なのか」と感じるかもしれません。しかし、この言葉は決して人生を否定する厭世主義ではありません。それは、人間存在のありのままの姿を冷静に見極めた、深い智慧の表明なのです。
仏教でいう「苦」とは、「自分の思い通りにならないこと」を意味します。お釈迦様は、人生の根源的な苦しみを「生・老・病・死」の四苦で示しました。この世界に生まれること、老いること、病になること、そして死にゆくこと。これらはどれも、私たちがコントロールできるものではありません。まさに「思い通りにならない」ことの筆頭です。
さらに仏教では、私たちが追い求める喜びや楽しみさえも、突き詰めれば「苦」であると捉えます。美味しい食事、社会的な成功、あるいは大切な人との時間。それらを手に入れた瞬間は、確かに幸福感を得られます。しかし、その満足感は長続きせず、すぐに「もっと欲しい」という際限のない欲望が生まれるか、あるいは手に入れたものを「失いたくない」という不安が生じます。すべての物事は移ろいゆくという「諸行無常」の真理の前では、どれほど幸福な時間も永遠ではありません。状況が変化したとき、あるいは幸福への執着が強ければ強いほど、それは容易に喪失感という苦しみへと姿を変えてしまうのです。
なぜ、世界は私たちの思い通りにならないのでしょうか。その答えは、お釈迦様が悟られた「縁起(えんぎ)」の道理にあります。縁起とは、「この世のすべての物事は独立して存在しているのではなく、無数の原因(因)と条件(縁)が互いに影響し合い、繋がり合うことによって成り立っている」という真理です。
例えば、私たち自身の存在を考えてみると、両親や祖先、日々の食べ物、空気、社会環境などの数え切れないほどの「縁」によって、今ここに「生かされている」ことがわかります。このように、我々は多くの関わりの中で存在しているため、世界を自分の思いどおりにコントロールすることはできません。思い通りにしようと思うと、すべてが苦しみとなります。
世界の本質が「思い通りにならない」ことであるにもかかわらず、私たちは「思い通りにしたい」「こうなるはずだ」と期待し続けます。この現実と願望のギャップこそが、苦しみの正体です。お釈迦様は、この過剰な執着を「渇愛(かつあい)」と呼びました。喉が渇いた人が水をむさぼり求めるように、決して満たされることのない欲望を追い続ける心の状態です。苦しみは世界の側にあるのではなく、「思い通りになるはずだ」という私たち自身の内なる勘違い、すなわち渇愛が生み出しているのです。
この「この世は思いどおりにならないのが当たり前である」という真理を受け入れることは、決して後ろ向きな諦めではありません。それは、世界のありのままの姿を正しく見つめる「如実知見(にょじつちけん)」、すなわち仏の智慧の出発点となります。「思い通りにならない」という事実を心から理解したとき、私たちは過剰な期待や執着から解放されます。すべてを自分の力でコントロールしようとあがくのをやめ、与えられた「縁」の中で生かされているという謙虚な視点に立つことができるでしょう。
苦しみの原因である渇愛を乗り越えた先には、真の心の安らぎである「涅槃寂静」の境地が待っています。「一切皆苦」という現実への深い洞察は、その穏やかな境地へと至るための、確かな第一歩なのです。

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