心を空っぽにすること
街を歩いていても、閉塞感を感じたり、笑顔の人が少なかったり。ギスギスしているな、と思うことはありませんか?
かくいう私もそのひとりでした。「仏教でも学んでみるか」と思ったのは、数年前、なんとなくアタマをよぎっただけ。僧侶になるという大志を抱いていたわけでもなければ、人生に大きなきっかけがあったわけでもありません。毎日がつまらなく、眉間にシワを寄せて過ごしていた時でした。
東京国際仏教塾の大熊信嗣学監が「心を空っぽにする」という言葉を授業の中で紹介してくれました。
「ごちゃごちゃ考えても、必死に悩んでも、そこに答えは見つからない。心を空っぽにしてみてはどうか。心を空っぽにすれば、新しいものを受け入れる余裕が出来る。余裕が生まれると、楽しい!嬉しい!という喜びを素直に感じ取ることが出来るようになる」というお話です。
学監の話の意味が理解できたのは、少々時間が経ってから。
ある日、ベランダのプランターに紛れ込んだ雑草に小さな花が咲いていることに気がつきました。いつもなら躊躇なく引っこ抜いているはずなのに「春が来たなぁ」と。空を見上げると青空の中に雲が流れ、木々のざわめきが聞こえ、移ろう季節に包まれていました。
「心を空っぽにする」ことはふいに訪れます。空を見上げただけ、風を感じただけ、それだけで生きていること、生かされていることに気がつく。心に余裕が生まれるということです。
週末の夕刻、若い男性がデパートの食品売り場で総菜を購入していました。それにしても注文の仕方そのものが不慣れ。新型コロナウイルスの影響下、自宅にいる奥様からの注文か?それともお篭りの準備か?など、想像するだけで楽しくなりました。心に余裕があれば、通りすがりの人の動作にも笑顔の要因は見つけられます。笑顔が増えれば、免疫力アップ! これほど強いものはないと感じさせられます。