○△□
タイトルの記号を見て「あれのことね!」と思う方も多いでは? 出光美術館蔵の仙厓義梵和尚の画を示しています。
解釈はいろいろありますが、玄侑宗久師は著書『仙厓 無法の禅』(PHP研究所刊)の中で、「真に闊達な心の表現として新たに提出したのがこの○△□なのである(私はそう思う)。仙厓は大まじめに扶桑最初禅窟と記している。戯れではなく、わが道場ではこれを標榜する、というくらいの気概を込めたに違いない」と書いています。
心のあり方を示す禅宗の一円相。それをシンボリックな存在にすることは、当初の意味合いも薄れ、形骸化してくるものだ。本来の禅の心の構え方とは違い、心の不自由という思いが仙厓にあった、とも述べられています。
東京国際仏教塾の大熊信嗣学監は「○を描き続けると隙間が出来る。○だけではだめ、△や□があっていい。受け止め方はいろいろあっていいというメッセージだと思う」と示してくれました。
仙厓の絵はほとんど美術館でしか見ることが出来ません。
京都・建仁寺様へお正月の挨拶に伺うご縁を頂戴しました。その茶室の軸になんと仙厓の七福神が! ガラス越し以外で拝見する初めての経験。お茶をいただきながらも「仙厓さん!仙厓さん!」です。つい「仙厓さんに会えるなんてラッキー」と口にしてしまいました。正客を飛び越し次客が発言する行為は茶席ではNG。ところが誰も眉をひそめるでもなく、茶席は大爆笑に。そして、建仁寺のご老師が笑顔で「お正月ですから、楽しい画がいいでしょう?」と。
茶席のマナー違反も笑い飛ばすおおらかさ、自由さ…、仙厓のスピリットを感じたささいなエピソードです。