『鬼滅の刃』に涙する理由のひとつは…

語る必要がないほどの『鬼滅の刃』ブームです。
そんな中に、お坊さんが仏教から見る解説を行うYouTubeを発見し、「なるほど! 深い!」と感心しました。
ちょこちょことかじった程度ですから素人レベル。さわり程度しか理解は出来ていませんが、人気の片鱗を見たように思います。それは主人公・竃門炭治郎の心、思いやりの部分です。鬼殺隊、彼らが戦う鬼。その「鬼」を「鬼」と捉えるか、「鬼」を「人間」と捉えるか。その違いです。前者なら、躊躇なく倒せばいい。勧善懲悪の時代劇などでもお馴染みの構図です。とても分かりやすく、長寿番組になる仕掛けのひとつです。しかし、炭治郎は違います。強敵で、自身がボロボロになって戦って、やっと倒した相手に敬意を払うのです。最期の鬼の尊厳を守ることは、成仏させてあげている行為になるんだろうなぁ〜と、頼もしく感じました。『鬼滅の刃』ファンには、余計な解釈かもしれませんが(笑)。
鬼は、鬼として生まれたわけではありません。鬼になる前は人間です。だれしも鬼になる可能性があるのです。心の中に「鬼は住んでいない」と胸を張れる人はいるでしょうか?
この作品に絡んだニュースを見るたびに、そんなことを考えています。

#東京国際仏教塾 #人間と鬼 #『鬼滅の刃』ブーム ※竃門炭治郎 #成仏