路傍の石

第33期生 H.O

第一回修行に参加して強く印象に残ったのは、日蓮宗の本尊が誰もが視覚的に捉えたことのない仏像ではなく、宇宙そのモノをあらわす「大曼荼羅」であるということである。
一般に曼荼羅と言えば諸仏諸尊が猫かれた図像を想像する。しかし大曼荼羅では「南無妙法蓮華経」を中心に如来・菩薩等を文字であらわしている。感性に頼る図像ではなく、誰もが意味を認識出来る文字であらわしている事に利他の精神を感じた。
その大曼荼羅を前にして行う唱題行で、私は宇宙そのモノを感じた。半跏趺坐に法界定印し「南無妙法蓮華経」を唱え続ける行の中で、僅かな時間だったが地球と一体になったような気がした。
足の感覚は無くなり痛みは消え、見開いた目は畳の縁の模様を消し虚空を見つめていた。これが無我の境地なのかもしれないと思った。その時の私は、まるで空に浮かぶ雲のようであり、また路傍に転がる一個の石のように感じられた。
「一切衆生悉有仏性」
人間は独りで生きている訳ではない。たとえ路傍に転がる一個の石であっても、存在する意義がある。野坂住職が修行中にたびたび口にされた「人」「もの」は、皆それぞれに役割・使命があってかけがえのない存在であるとの言葉の意味を考えさせられた。
地球は人間だけのモノではなく、山川草木や地水火風、そしてありとあらゆる生物のそれぞれがそれぞれの営みを持つ場所。その地球を抱く宇宙そのモノを私せず、共に生きていく。それが大曼荼羅の根本なのだ。
今回の修行で、自分もまた宇宙を構成するモノの一つであることを改めて考える機会を得ることが出来た。
尚、食前食後の言葉が私の食事時のルーティーンに加えられたのは、言うまでもない。

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