妙厳寺修行感想文

第33期生 T.S.

最も強い印象に残った修行は、食の作法である。食の最後に茶を注ぎ、沢庵一切れで茶碗や皿を削ぐように綺麗にして全て頂くことは、食に宿る命を頂くことで自分の命を繋いでいることに気が付く。残さず頂くことは、自分以外の命を無駄にせず、自分自身の命も繋ぐ大切なものであると心得た。また皿に残った食物や油、洗剤を排水に流すことは環境汚染に繋がり、やがては巡り巡って自身の健康被害や、環境破壊にもつながり、食の作法一つを持っても地球全体への影響を及ぼす事柄だということを修行の作法により学ぶことができた。
実際に食した食事も、動物性食品である肉、魚、乳製品、卵は使われておらず、妙厳寺産である野菜やその付近の地場産のものを使用しており、大変に新鮮で食材の味そのものが味わえる味付けと献立となっていた。中でも大多喜町で有名なタケノコが毎日献立に盛り込まれていて、その品ごとに違った新鮮なタケノコの味を楽しむことができ、修行の良い思い出となった。他にもキャベツの浅漬けをショウガで合えたもの、紫キャベツと大根のマリネ、五目豆や大豆のおから合え、カボチャと小豆のいとこ煮、なめこととろろ昆布の味噌汁、大きなサツマイモの天ぷら、キュウリとわかめの酢の物等々まだまだ覚えているが、私の妙厳寺修行は、一つ一つの献立と食材と作り手に感謝し、真剣に向き合いながら食の作法を実践し食したことだ。
修行中、いくつか講座を聞き、最終日の話し合いで、疑問に思ったことを自身が質問したり、他者の質問を聞いたりしていく中で、「仏教」とは何であるのかの明確な答えが見いだせず道筋も見えていない自分に気づき、判然としない心持を抱えて帰途についた。今もずっと考えているが、一つ言えることは、修行に行く前には「仏教」について考える事もなかった自分が、仏教とは何かと自身の内なる感情を呼び起こし探索しようとしていることに他ならない。
次回の鹿野山修行で得られるもの、見えてくるものがあるかもしれず、自身の心持を正しく修行に励み、「仏教」に向き合いたいと思う。

#東京国際仏教塾 #仏教を学ぶ #仏教を知る