沖縄の「エイサーと仏教」⑫
東京国際仏教塾卒塾生の並木浩一さんによる書き下ろしエッセイを連載でお届けしました。第2部の5回目、こちらで“沖縄の「エイサーと仏教」”の最終回となります。機会に恵まれましたら、またご執筆いただく予定です。コンテンツ「サトリ旅」では、1部、2部、計12回分まとめてお読みいただけます。
もういちど、念仏するエイサーへ
エイサーから念仏踊りの要素が薄らいでいったのは、主に戦後の話です。エイサーが沖縄において旧盆の欠かせない行事であることは今も変わらないのですが、そこから宗教色が薄れていっているのは、内地での盆踊りと同様です。コミュニティの行事としての必要性が増す一方で、宗教行事としての意味合いが忘れられていっている、ということでしょうか。仏法説話の色彩を色濃く残すエイサー曲「仲順流れ」から始まる伝統を遵守する団体は今も主流なのですが、その曲を途中で端折って、こっけいな「久高万寿主」の唄にメドレーで移るのが普通になりました。しかもその乗り移りのタイミングが、年々早くなっている気がします。また一連のエイサー曲の中で、フィナーレの定番「唐船ドーイ」にハイライトを持ってくる傾向も強くなっています。
ここには実は、戦後の一時期にエイサーの“コンクール”が盛んになり、観せるエイサーの要素が強い「競技」の性格をもった時代を経たことも大きかったと言われます。その傾向への批判もあり、現在は順位をつけるコンクールではなく「エイサー祭り」という形で、各地では複数のエイサー団体(青年会)が技を披露する場が盛んになっています。旧盆の2週間後に行われる「全島エイサー祭り」は、テレビでライブ中継が行われる大イベントです。そうした時代の流れの中で、技を先鋭化させる青年会が目立ちます。「唐船ドーイ」のサビで男衆が飛び上がる振り付けは以前ではほとんど見られなかったのですが、ご当地オリオンビールのCMでフィーチャーされて以来、多くの青年会のスタンダードとなっているのもその典型的な例です。
旧盆の念仏踊りが、同じく夏の風物詩であるエイサー祭りの「演舞」と変わっていったのは、楽しくもあるのですが、ちょっとした寂しさも感じます。400年以上も前に沖縄にもたらされた念仏の確かな痕跡を、もういちど見直してみたいと思います。(第2部 了)
Profile:並木浩一(なみきこういち)
1961年横浜生まれ。桐蔭横浜大学教授。時計ジャーナリスト。ダイヤモンド社「ダイヤモンド・エグゼクティブ」「TVステーション」両誌編集長、編集委員を経て大同大学教授(メディア論・芸術論)、2012年より現職。編集者時代に東京国際仏教塾9期入塾、「仏教を学ぶと、生きるのが怖くなくなる」と実感し、専門課程を経て浄土真宗で得度。「沖縄のエイサーと念仏」についても研究中。
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